身近な生活の中のおいしさあれこれを1ヶ月に1度お届けします 森下典子
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2004年8月―NO.23
  3

人間は完璧なものに耐えられず、
ちょっと壊れたもの、乱れてものに、心惹かれる生き物かもしれない

後文の「かんざし」


後文の「かんざし」
後文の「かんざし」
(画:森下典子)

 私は稲庭うどんの「かんざし」が好きである。稲庭うどんは、縄をなうように手でよりを掛けながら2本の棒の間に交互にまきつけ、それを長く伸ばして作るそうで、棒に巻きついて、くるんと曲がった部分がどうしてもできてしまう。まっすぐな麺の頭が、曲がっていて、その形がかんざしに似ているところから、「かんざし」と呼ばれているのだ。まっすぐな麺と一緒には売れないので、曲がった不ぞろいの「かんざし」だけ集めて売られている。つまり、アウトレットものである。
 私がよく買うのは、横浜三越の地下で売っている、「後文」というメーカーの「かんざし」だ。まっすぐで揃った稲庭うどんも売っているが、いつも「かんざし」しか買わない。「かんざし」の方が値段が安いからだが、それだけではないのだ。
 「かんざし」を茹でると、曲がってつぶれた部分だけ、ビローンと幅が広くなる。つややかで、きれいにそろった稲庭のところどころに、不ぞろいな広い部分が混じる。ビローンと広くて、透けている。そこがいいのだ。もう、目が食べたがって、うずうずしてくる。
 不ぞろいな麺は、とりわけうまい。なぜだろう……?
 もしかすると、人間は完璧というものに耐えられず、ちょっと壊れたもの、乱れたものに、心惹かれる生き物なのかもしれない。
 一緒に秋田で稲庭うどんをすすった友達は、
「音符みたいなものかもね」
 と、言った。
「同じ音符がずらーっと並んでるより、所々に違うのが混じって不ぞろいな方が、かえって変化がついていいメロディーになるじゃない」
 不ぞろいな音符の存在は、麺が束になることによって、いっそう際立つ。
「ツリッ、ツリツリッ、ツリッ」
 そういえば、唇に、小気味よく吸い込まれていく稲庭うどんは、いいリズムを奏でている。
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