身近な生活の中のおいしさあれこれを1ヶ月に1度お届けします 森下典子
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2010年8月―NO.93

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記録的な猛暑の続くこの夏、
ワンタンの、あのちゅるんとした皮の感触が、私は無性に恋しい。

東京ワンタン本舗の「ワンタンの皮」


散りレンゲ
散りレンゲ
(画:森下典子)

 夏休みに友だちと水族館に行き、水槽の前から動けなくなったことがあった。
 クラゲである……。数えきれないほどの、半透明のクラゲたちが、大きな水槽の上から、まるで白いパラシュートが降下してくるようにふよふよと降りてくる。
 パラシュートは半透明で、縁がひらひらと翻る。まるでスカートの裾が風にたなびくようだった。そして水槽の底まで着くか着かぬうちに、今度は、ふわりふわりと天に向かって舞い上がっていく……。舞い降りては、舞いあがる、いつ果てるとも知れぬ白いパラシュートの群舞は、水中バレーのように幻想的でもあり、どこかユーモラスでもあった。
 ぼうっと見ていると、日ごろの疲れも、暑さも、仕事の悩みもどこかへ消え去り、知らず知らず口元がゆるんで笑みが浮かんでくるのを止められなかった。
「クラゲも夢を見るのかしらねぇ」
「どうだろうねえ」
 などと、とりとめのないことを言い合いながら、白く半透明のものがたゆたう様を見ていたら、なんだか無性に、ワンタンが食べたくなった……。

  「雲呑」と書いて、ワンタンと読む。
 私はこの文字を見るたびに、なんて美しい名前なんだろうと思う。
 ワンタンは、ギョウザ(餃子)や、シューマイ(焼売)の親戚筋でありながら、ギョウザやシューマイに比べて、はかなげな、影のうすい存在である。
 あっさりとした透明な中華スープには、葱と脂が浮かんでいて、そこに半ば浮き、半ば沈みながらワンタンがゆらめいている。薄い皮は透けて、天女のまとう薄もののように、優雅にゆらりゆらりと、たなびいている。
 散りレンゲで、スープと一緒にワンタンをすくい上げると、レンゲのまわりに、ワンタンの皮がペロ〜ンと力なく垂れ下がる。
 皮の中央には、ギュッと皺が寄って、中に包まれたひき肉が透けて見えるが、ワンタンの具は、決してずっしりと詰まっているものではない。もともとワンタンにおける具は、お正月の羽根つきの羽根における、あの黒くて硬い玉のような、「おもり」でしかない。ワンタンは、具ではなく皮を食べるものなのだ。
「ふうふう」 
 と、吹いて熱を冷まし、散りレンゲを口に運ぶと、ワンタンは、ちゅるんと優しく口に滑り込む。
 ペロ〜ンとした皮にスープがからみ、かすかに葱と生姜の香りが鼻に抜ける。具の、わずかな挽肉の弾力や胡椒の香りが、皮ごしにかすかにする程度で、顎も使わず、歯も立てず、天女の羽衣は、はかなく喉に消えて行く。
 それは、「雲呑」という美しい名前そのものだ。あっさりとして胃にもたれない。食欲のない真夏には、この透明なスープの中をたゆたうワンタンの優しさがいいのである。
「ワンタン」という言葉の響きも、私には美しく上品に聞こえる。
「ワ・ン・タ・ン」
  と、舌が上顎を2度、優しく叩く。その響きは心地よく、美しい貴婦人の食べ物のようだ。

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