身近な生活の中のおいしさあれこれを1ヶ月に1度お届けします 森下典子
HOME

 


 

2010年12月―NO.97

1  

ねっとりとした甘みと豆の味が、舌の味蕾を通過して体に染み渡った。
両口屋是清の「干支羊羹」


両口屋是清の「茜の空」
両口屋是清の「茜の空」
(画:森下典子)

 「お歳暮」「お年賀」という熨斗の文字を見ると、父がサラリーマンだった頃を思い出す。
 私の父は、大型タンカーを造る造船会社に勤めていた。元々はエンジニアだったが、ある時、父の働いている「部」が変わった。すると突然、デパートの包み紙の贈り物が大量に送られてくるようになった。
「森下さーん、お届け物でーす」
「はーい」
 母がハンコを持って小走りに玄関に出て行くと、高島屋、三越、大丸などの包装紙に包まれた箱が届く。父の勤め先が「重工業」だったから、差出人の名前も、「○○鉄鋼」とか「××金属」とか、いつも固い感じの名前だった。茶の間の隅に、毎日、大きな箱や小さな箱が積み上げられていた。
 子供の私は中身を開けてみたくてうずうずしたが、母から、父が帰ってくるまでは開けてはいけないと言われて我慢していた。夜、帰って来た父は、ネクタイを外しながら、しかつめらしい顔で差出人の名前を見て、
「ふうん」
 などと言い、母や私に、
「開けてみなさい」
 と、言う。そういう時の父は、いつもよりちょっとエラそうで、私は子供心にも、父は私たちに「男の威厳」を見せているな、と感じながら包みをあけた。
  石鹸、タオル、ウィスキー、カルピス、缶詰の詰め合わせ、シーツ、タオルケット、夏掛け布団、スリッパ、水羊羹、テーブルクロス、紅茶、ワイングラス、クッキー……。さまざまなものをいただいたが、一番多かったのは石鹸とタオルだった。わが家はその後40年間、石鹸を買ったことがなかった。父が定年退職し、他界してからもまだ当時の石鹸を使っていた。タオルも、昭和40年当時の箱に入ったままのものが、大掃除するといまだに天袋の中から出て来たりする。

次へ



Copyright 2003-2024 KAJIWARA INC. All right reserved