身近な生活の中のおいしさあれこれを1ヶ月に1度お届けします 森下典子

2012年12月―NO.118

口に入れると、皮は「どら焼き」のようにしっとりしていて、中には餡がみっしりと入っている。

形は小さいが、ほどよい甘さと小豆の風味が、歩き疲れた体に浸み渡る。

桃林堂の「小鯛焼き」


何年か前、幼なじみの友人と二人で「七福神めぐり」をした。そもそも、七福神めぐりは江戸時代に、信仰を兼ねた行楽として始まったらしい。特に、お正月の「七福神めぐり」は人気だった。お参りした寺社が、七福神の絵を刷った台紙に御朱印を押してくれる。七つの御朱印を全部集めると、御利益がある。「スタンプラリー」の元祖である。七福神は全国津々浦々に広まり、その数は現在三百にもなるというが、その最古のものが「谷中七福神」である。
 正月二日。谷中七福神のスタート地点、JR田端駅を降りると、昼前からぞろぞろと人が連なって歩いていた。みんな同じ方向に向かって流れていく。商店街を歩いて、間もなく道を曲がり、「東覚寺」という門に入って行くと、「谷中七福神 その一 福禄寿安置」
 という看板があった。お寺の玄関に並んで順番に参拝する。社務所の棚の一番上に、お厨子が安置され、黄金の扉が開いていた。その中に、四十センチくらいのかわいい白髭の老人の像がある。
 七福神の神々は、それぞれ受け持つ御利益が違う。「福禄寿」は「人望」がつく神様だという……。お賽銭を入れ、手を合わせた。それからスタンプの台紙を買い、そこに一つめの御朱印をペタッと押してもらった。
 再び歩き始める。商店街から住宅街に入り、西日暮里四丁目の信号で道灌山通りを渡ると、急に道幅が狭くなった。住宅に挟まれて「青雲寺」があった。
「谷中七福神 その二 恵比寿」の寺である。
 本堂の床の間に、恵比寿さんがいた。ほっぺたがツヤツヤした柔和な顔で、大きな福耳。映画評論家の水野晴郎氏に似ていた。小脇に大きな鯛と釣り棹をかかえている。恵比寿さんのご利益は「正直」。また、ペタッと、御朱印を押してもらった。
 青雲寺を出ると、すぐそばに「修性院」がある。「谷中七福神 その三 布袋尊」の寺である。お堂に、大きな布袋尊が鎮座していた。布袋さんは、七福神の中で、唯一実在した人間だそうだ。唐の禅僧で、各地をぶらぶらと放浪し、脈絡のないことをブツブツ言いながらいつも笑っていたという。ところが、不思議な能力があって、布袋さんの行くところ、必ず幸運が起こったと言われている。
 神様になった布袋さんは、巨大な太鼓腹をして、幼児のような顔で口をあけて笑っていた。ご利益は「度量」。三つめの御朱印をもらった。
 そこからコースは坂道になる。富士見坂をのぼって高台に上がると、古い格子戸や板塀のある谷中の小道を歩く。このあたりは関東大震災、東京大空襲からも免れ、今でも江戸時代の古地図で歩けるほど昔の町並みが残っている。
「谷中七福神 その四 寿老人」は、谷中の「長安寺」にあった。杖を持った白髭の老人で、水戸黄門のような頭巾をかぶっている。「長寿」の御利益を授かるという御朱印を押してもらった。
 やがて、大きな墓地が見えて来た。有名人の墓がたくさんある「谷中霊園」である。霊園の真ん中の道を歩いていくと、「谷中七福神 その五 毘沙門天」の「天王寺」があった。柔和な顔の多い七福神の中で、毘沙門天だけは、甲冑に身を包み、武器を手に憤怒の形相をしていた。五つめの御利益は「威光」。
 谷中霊園の外に出ると、地名が「上野桜木」に変わる。古い町並みに、画廊がちらほら混じっている。東京芸大が近いのである。
 ここまでで集まった御朱印は五つ。あと二つなのだけれど、足が疲れて来た。

桃林堂の「小鯛焼き」桃林堂の「小鯛焼き」桃林堂の「小鯛焼き」
桃林堂の「小鯛焼き」
(ああ、どこかで休みたい……)
 そんな時、見えて来たのが一軒の店である。風情のある佇まい。「桃林堂」という暖簾がかかり、柳の枝がゆれている。並んで歩いている友達も、同じことを思ったらしい。
「あそこで一服しようよ」
 と、そちらへ歩いて行く。桟の入った引き戸をカラカラと開けると、正月飾りと、和菓子の並んだショーケースが見え、喫茶スペースがあった。席に座ってホッとしていると、そこにお抹茶と和菓子が運ばれてきた。
「わぁ、かわいい……」
 鯛なのだけれど、「鯛焼き」ではない。小さな愛らしい「小鯛焼き」である。
 正月に鯛とは、めでたい。そういえば、恵比寿さんが小脇に鯛を抱えていたことを思い出した。
 口に入れると、皮は「どら焼き」のようにしっとりしていて、中には餡がみっしりと入っている。形は小さいが、ほどよい甘さと小豆の風味が、歩き疲れた体に浸み渡る。そして、餡の甘みの後の抹茶の味が、気持ちをしゃっきりとさせてくれた。
「さあ、あと二ヶ所、頑張ろう」
「谷中七福神 その六 大黒天」は、「護国院」の本堂にあった。大きな袋をかつぎ、打出の小槌を持っている。御利益は「富財」。
 護国院を出て、だらだら坂を下り、上野動物園を過ぎると、やがて不忍池が見えてきた。茶色く立ち腐った蓮の向こうに、緑青色の六角堂が見える。そこが谷中七福神のゴール。「その七 弁財天」である。お参りして、最後の御朱印をペタッと押してもらった。ご利益は「愛嬌」……。
 田端から不忍池まで、歩いておよそ三時間。人望から長寿、富、愛嬌まで、七つの御利益のスタンプが集まって、正月から、なんだかいいことが起こりそうな気がする。
 ちなみに、七つの御朱印を押した紙を枕の下に入れて眠ると、良い初夢が見られると言われている。

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