身近な生活の中のおいしさあれこれを1ヶ月に1度お届けします 森下典子

2013年2月―NO.120

口に入れた途端、それはみずみずしくとろけて形を失い、

舌の味蕾に優しい甘さの印象だけが残った。

萬々堂通則の「糊こぼし」


随分前のことだけれど、三月初めに京都に取材に行ったことがある。初日はぽかぽかとしてすっかり春の陽気だったが、翌朝、旅館の玄関から路地に一歩出ようとした途端、あまりの寒さに思わず身がすくんだ。そんな私を見て、宿のご主人が気の毒そうに、
「まだ、お水取りがすまへんさかいになあ。奈良のお水取りが終わらな、春はきいしまへんわ」
 と、言った。
 こういう、春を待つ言葉を聞くのが好きだ。春を待つ言葉ほど、その地方独特の風土を感じさせてくれるものはない。
 その後、大津出身の人にこの話をしたら、「比良の八講、荒れじまい」という言葉を教えてくれた。比良にあった天台宗の寺院では、三月下旬に法華経を講読する法華八講とよばれる法要を営んだが、この法要の行われる時期には寒気がぶりかえし、比良山から突風が吹き荒れる。だから、
「お水取りの後に、比良の八講が終わらな、ほんまの春はきいひん」
 とも言うそうだ。
 私の育った横浜では、「暑さ寒さも彼岸まで」くらいしか耳にしたことがないので、「お水取り」「比良の八講」と聞くと、つくづくこの地方の歴史の厚みを感じる。

さて、前回は「奈良漬」について書いたが、今回も奈良である……。お水取り(正しくは、東大寺二月堂の「修二会」)は、罪を懺悔し、除災招福を祈るために、天平時代から一度も途切れることなく今日まで続いている行だそうで、現在では三月一日から二週間にわたって行われている。そのクライマックスが、三月十二日深夜に行われる「お水取り」で、若狭井という井戸から観音さまにお供えする水を汲み上げる。よくニュースなどで見かける大きなたいまつは、この行を勤める精進潔斎した僧侶たちの道明かりとしてともされるものだという。
 私は行ったことがないが、私のお茶の先生は、この季節になると、十年以上前に見にいらした時の興奮を懐かしそうに語られる。
「ダダダダッとお坊さんが走って、欄干の上のこんな大きなたいまつから、火の粉が頭の上に降って来たのよ」
 その高揚した口調を耳にするたび、テレビの映像がどんなに鮮明になっても、やっぱり実際にその場所に立って火の粉を浴びなければわからないものがあるのだなと思う。
 お水取りのために、お坊さんたちが和紙で作る椿の造花がある。糊を塗りこぼしてしまった様な斑点があることから「糊こぼし」と呼ばれる椿を模した造花で、三百五十から四百個もの造花を椿の枝につけ、二月堂の須弥壇の四隅を飾るのだそうだ。近畿地方では、この造花をいただくと無病息災の御利益があると言われているそうで、何度か料理屋さんなどに飾ってあるのを目にしたことがある。

萬々堂通則の「糊こぼし」萬々堂通則の「糊こぼし」萬々堂通則の「糊こぼし」
萬々堂通則の「糊こぼし」

 この造花に似せた期間限定の和菓子がある。毎年、食べてみたいと思いながら時期を逸していたが、今年、取り寄せることができた。
 萬々堂通則の「糊こぼし」である。
「柔らかい生菓子なので、送る途中で形が崩れてしまうかもしれません」
 と、お店の人はおっしゃったが、箱を開けて見ると、無事であった。
「ねえ、縁起のいい和菓子、奈良から取り寄せたの。一緒に食べない?」
 母に声を掛け、お茶の支度にとりかかった。箱から「糊こぼし」を取り出す。その感触は、しなだれるほど柔らかく、みずみずしかった。大きな花芯は黄身餡で、薄く延ばされ型で抜いた紅白の練りきりの花びら が、花芯を取り巻いている。
 その何という明快な美しさ!
 私は庭に出て椿の生葉を採り、きれいに洗って「糊こぼし」に添えた……。
 お水取りの行事に、椿の造花を飾るのはなぜだろう? 実は私はかねがね、昔の日本人にとって、椿は他の植物とは違う、特別な存在だったのではないかと感じている。
 理由は、その強さである。日本原産の常緑樹で、真冬でも深紅の花を咲かせ、葉が艶々と光っている。挿し木でどんどん増え、日なたでも半日陰でも元気に育ち、路地植えなら水やりもいらない。そのたくましい生命力に、昔の日本人は神聖なる力を感じたのではないだろうか。
 私は、昔の日本人にとっての椿は、ちょうど、古代ギリシャ人にとってのオリーブのようなものだったと想像している。古代オリンピックの勝利者がオリーブの冠をいただいたように、日本では神事の時、椿を髪飾りにした時代があったという。
 その実を食べることもでき、絞れば、食用油にも髪油にもなるところも、椿とオリーブは良く似ている。
 安土桃山時代、茶道の発展と共に、椿は茶花として重んじられ、江戸時代には観賞用の花として品種改良が進んだが、今でも床の間の一輪の椿には、その部屋全体を支配するようなパワーを感じる……。
 お茶をいれ、楊枝を「糊こぼし」に当てると、切る必要もないほどに柔らかかった。口に入れた途端、それはみずみずしくとろけて形を失い、舌の味蕾に優しい甘さの印象だけが残った。
 奈良のお水取りは、今年も三月十五日まで行われ、それが終わると、近畿地方に春がやって来る。

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