身近な生活の中のおいしさあれこれを1ヶ月に1度お届けします 森下典子

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2017年1月―NO.166

私は時々、あの丼の底の見えないこってりとした
醤油色のスープを思い浮かべる日がある。
どうやら、徳島ラーメンの底深さに、捕まってしまったらしい。

東大の「徳島ラーメン」

 ある日、株式会社カジワラのホームページに、フリーアナウンサーの女性が連絡をくださった。
 長崎の老舗、松翁軒のカステラを買って食べた時、付いていた「よむカステラ」という小冊子に載っていた私のエッセイを読んでくださったという。そのエッセイをきっかけに、私の著書を買って読み、インターネットで探して本欄を見つけ、わざわざご連絡をくださったそうだ。
「自分の担当しているラジオ番組で、本を紹介したいのですが、よろしいですか?」
 というありがたいお話だった。もちろん、喜んで了解した。
 それから幾度かメールのやり取りがあった後、その女性から、
「今年、私がおいしいと思ったものをお送りしました」
 というご連絡があった。実は、その女性は、フリーアナウンサーの他に、食育グルメキャスターというお仕事もなさっていた。
 数日後、宅配便を受け取った。徳之島産の「インカのめざめ」というジャガイモが入っていた。
 それは小粒で、一見、ふつうのジャガイモと何も変わらない。ところが、包丁でスパッと切って、断面に目を見張った。
(わぁ~!)
 なんと、橙色に近い黄色をしていた。
 おいしい予感がした。
 こういうものは、下手に調理などせず、ただ蒸して食べるに限る。早速、流しでさっと洗って泥を落とし、最近購入したばかりの電気圧力鍋を取り出し、ゴロゴロ入れてスイッチを押した。
 やがて蒸し上がって蓋を開けると、湯気の中に、甘みが香った。褐色の斑点のある皮は、指先でつまむだけでたやすく破れる。私は湯気の上がる蒸したてを手の上で「アチチ、アチチ」と、転がしながら、皮を剥いた。
 それは栗のように黄色く、ほこほことしていた。なんだか、見ているだけで、口の中に唾液が湧いてくるのを感じる。はふはふと吹き冷ましながら頬張った。
(……濃い)
 小さな芋に、滋養が詰まっているのを感じた。命に必要なものがギュッと詰まっている味がする。その味の濃さは、「芋」というより「ナッツ」に近かった。
 一つ食べ終わるや、すぐ二つ目に手が伸びた。スルスルと皮を剥いて、いくつも食べた。熱々を食べながら、
(そういえば、子どものころ食べた芋は、こんなふうに味が濃かったな……)
 と、思った。私たちは、いつの間にか命の源流から遠く離れて、味が薄くなってしまった野菜を日ごろ食べているのかもしれない。「インカのめざめ」は、命の源流に近い味を思い出させてくれた。

 送ってくださったアナウンサーの女性に、お礼と一緒に味の感想を送った。すると、なんと、
「もう一つ、私が今年おいしいと思ったものをお送りしました」
 というメールが返ってきた。
 数日後、わが家に届いた宅配便の中身は、冷凍された麺とスープのパック。その包みに「徳島ラーメン 東大」と、書かれていた。
 実は、私は「徳島ラーメン」というものを知らなかった。今回、初めて、西日本にチェーン店が広がっていることを知った。中でもこの「東大」というチェーン店は、「ラーメン界の東大」を目指しているという。
 写真を見ると、豚骨ベースのスープはこってりとした醤油色で、丼の底が見えない。トッピングに載っている豚のバラ肉、シナチクなども、煮詰めたような濃い色をしている。そして、なぜか生卵が載っている。
 それはいかにも味が濃そうに見えた。送ってくださった女性からも、
「かなり濃厚ですので、胃が元気な時に食べてください」
 というメールがあった。
 数日後、お腹が空いてガッツリしたものを食べたい気分の昼間、私は冷凍庫から麺とスープのパックを取り出し、鍋でガンガン湯を沸かし、添付されていた作り方に従って、スープを温め、麺を茹で、ネギや卵を添えて「徳島ラーメン」を作った。
 ますはスープを一口……。すると、意外にも、見た目より、あっさりとした印象を受けた。けれど、何だか不思議に後を引く……。
 それから、麺を手繰り、ズズッと啜った。すると、角がキリッと立った麺の歯ごたえに、こっくりとしたスープが絡んで、豚骨スープの旨みがやってきた。
 あとは、「ズズッ、ズズッ、ズズッ」と、ひたすら一本道である。麺を啜りながら、時々、スープに沈んだ豚バラ肉やシナチクを味わい、そして最後にスープが残った……。
 私は丼を両手で持ち、そのドロッと濃いスープを見つめ、縁に口をつけて、ゴクリ、ゴクリと、心ゆくまで味わった。どれほどの種類の野菜の葉、根、肉、骨、脂、調味料などが、混じり合い、引き出し合い、混然一体となって、この魔女の薬壺のような底の見えない旨みを作り出しているのだろう。
 あれから私は時々、あの丼の底の見えないこってりとした醤油色のスープを思い浮かべる日がある。どうやら、徳島ラーメンの底深さに、捕まってしまったらしい。

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