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2017年8月―NO.173

石板のような硬さと冷たさの中に、上品な甘味を感じる。
 ペロリ。またペロリ……。少しずつ味わう中に、小豆の風味がほのかにした。

井村屋の「あずきバー」

 ほんの二か月前、ここで「チョコモナカジャンボ」を取り上げた。そして、「バニラモナカジャンボ」の袋を破いた途端、鼻先にふわんと広がるミルクの甘く優しい香りについても書いたばかりだ。
 ……でも、アジアモンスーン地帯の空気が舌のように長々と伸びて来て、日本列島が蒸し風呂のような空気にすっぽり覆われてしまうと、美味しかったアイスクリームの乳脂肪分さえ疎ましく感じる時がある。そんな時、齧りたくなるのは、乳脂肪分の一切入っていない氷の棒だ。後味のさっぱりしたアイスキャンディが、無性に食べたくなる。

 夏も後半になった今、コンビニの冷凍庫を覗くと目に飛び込んでくるのは「井村屋のあずきバー」である。発売から四十四年のロングセラー商品で、今や年間二億五千万本も売れるというから、日本の津々浦々のコンビニで、今日もたくさんの人びとが、あずきバーを買っていることだろう。
 そのパッケージの袋の色はあずき色。袋のデザインには、葦簀(よしず)らしきものが描かれて、夏の甘味処の風情を連想させる。
 袋を破いて、棒ごと取り出した瞬間、スーッと冷気を感じる。あずきバーは美しい薄紫色で、表面にうっすらと霜がついたような白い靄がかかっている。表面は大理石の石板のように凍り、小豆の粒々が濃く薄く、偏ることなくあちこちに姿を見せている。
 エッジの立った角を齧ろうとすると、硬さに歯がはね返され、キーンと歯の根が冷たい。齧るのを諦め、ペロッと舐めてみる。すると、石板のような硬さと冷たさの中に、上品な甘味を感じる。
 ペロリ。またペロリ……。少しずつ味わう中に、小豆の風味がほのかにした。なんだか、どこかで風鈴がチリンと鳴り、蝉の声もいっしょに聞こえてきそうな気がした。
 何となく、パッケージの袋の裏を返し、原材料を目で読むと、
「砂糖、小豆、水あめ、コーンスターチ、食塩」
 つまりこれは、小豆をコトコト煮て甘みをつけたもの。つまり「ぜんざい」。あずきバーは、「ぜんざい」を凍らせたものなのである。
 やがて、石板のようにカチカチに凍った氷がいくらか和らぎ始め、わずかずつ歯が立つようになってきた。舐めたり齧ったりするうちにあずきバーは、徐々に角が丸くなって、表面が汁で光りはじめた。その雫を舐めると、確かに小豆の煮汁の味がして、これが何ともうまい。
 子どものころは「餡子よりチョコレート」が好きだった私も、年をとるにしたがって、この頃だんだん小豆に傾いてきた。いや、何と言うか、この頃、小豆の風味の中に「日本のカカオ」を感じるようになったのだ。だから、「ぜんざい」など、私にすれば、お上品なココアなのである。
 日本のカカオ(つまり、小豆)を食べると、なんだか体がすっきりして、充実感を覚え、元気になる。昔の人は、
「小豆の赤い色が病気や災いを祓ってくれる」
 と、考えていたと聞いたことがあるが、それはこの赤い豆の健康効果を体験的に知っていたからだろう。
 お赤飯といえば、「お祝い」の時に炊くものだと思っていたが、昔の人はもっと頻繁にお赤飯を炊いたらしい。月の初めの「お朔日(ついたち)」や十五日にはお赤飯を食べる風習があったと聞いたことがある。そういえば、子どものころ、父方の祖母も、
「朔日だから」「お祝いだから」「お客が来るから」「おやつに食べるから」
 と、何かにつけてお赤飯を炊いていた。
 一年に十二回やってくる「お朔日」の中でも、六月一日は、特別な日であったと、本で読んだことがある。この日に、「水無月(みなつき)」という、小豆のいっぱい入った三角の外郎和菓子を食べる風習が、今でも一部の地方には残っているそうで、そういえば、六月になると和菓子屋さんの店先で、そんな和菓子をちょくちょく見かける。
 その起源は宮中の行事だという。昔、冬の間に凍った雪や氷を、山の中の、夏でも涼しい穴の中に貯蔵していた。これを「氷室」という。天然の「冷蔵庫」である。
 旧暦の六月一日、これからいよいよ暑さが厳しくなるころ、宮中の貴族たちは氷室に貯蔵していた雪や氷を取り寄せ、暑さをしのいだ。氷室のある山から、御所まで運ぶ間に、氷はきっと融けて小さくなったことだろう。それでも、この日に氷室の氷片を口にすると、無病息災でいられると貴族たちは信じていた。そんな霊力が信じられるほど、当時の人びとにとって、真夏の氷は貴重で贅沢だったのだ。
 そんな貴重なものが庶民の口に入るはずはない。そこで、庶民はういろうを氷室の氷片に見立て、それに縁起のいい小豆を入れて食べることで無病息災を祈ったそうだ。
 今でも一年のちょうど折り返し時点の六月三十日、「水無月の祓い」とか「夏越祓(なごしのはらえ)」と呼ばれる神事があって、地方によっては和菓子の「水無月」を食べる風習が残っている。
 昔、庶民の口に入らなかった「氷室」の氷を、私たちはいつでも食べられる。年間、二億五千万本も売れるこの氷の棒の中には、昔の人が病気や災いを祓ってくれると信じた小豆もいっぱい入っている。井村屋の「あずきバー」は、現代の水無月ではないだろうか
井村屋のホームページ