身近な生活の中のおいしさあれこれを1ヶ月に1度お届けします 森下典子
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2005年10月―NO.36
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世の中には、舌や胃袋でなく、
心を満たしてくれるお菓子があるのだ

月世界本舗の「月世界」


月世界本舗の「月世界」
月世界本舗の「月世界」
(画:森下典子)

「富山の銘菓よ」
 先生の見せてくれた箱に、「月世界」と書いてあった。
(げっせかい……?)
 お茶のお菓子に、「げっせかい」なんて、なんだか似合わないなぁ〜と、思い、万博の「月の石」を思い出しながら、その白い、キリリと尖った角を齧った。
「ザクッ」
 として、軽い。
 一瞬、鼻先を、卵のほのかな香りが過ぎった気がした。
「サクサク」
 と、メレンゲの砕ける音が頭蓋骨の中に響き、まろやかで優しい甘さが、淡雪のように口の中で消えた。
(…………)
 また、「サクサク」と齧る。
 淡い甘みが、さーっと溶ける。
(…………)
 何も残らないのに、心の中に、何かが残った。 「げっせかい」ではなく、正しくは、「つきせかい」と読む。
 アポロ11号が月面着陸するより、はるか昔、なんと、明治33年(1900年)からのお菓子だと聞いて、びっくりした。
 人類が、月面のごつごつした岩肌や荒涼たる砂漠を知るはずのなかった百年以上前に、極上の和三盆糖と鶏卵を材料に作られたメレンゲ菓子に、
「月世界(つきせかい)」
 と、名づけた人の感性の、なんと斬新なことだろう!
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