身近な生活の中のおいしさあれこれを1ヶ月に1度お届けします 森下典子
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2007年6月―NO.56

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きな粉のざらざらと、黒糖蜜のコクのある強い甘さが混じりあい、それがやがて、 ひんやりとしたくず餅のぶりぶりとした冷淡な歯ごたえと絡み合っていく
船橋屋の「くず餅」


船橋屋の「くず餅」

船橋屋の「くず餅」
(画:森下典子)

 さて、冷蔵庫から取り出した船橋屋の紙箱の蓋をあける。「きな粉の袋」「黒糖蜜のチューブ」の横に、白いくず餅が、のぺーっと並んでいる。よく見ると、くず餅には、もうちゃんと、小さな「台形」に切れ目が入っているから包丁で切り分ける必要もない。あとは、一切れずつ、箸か手で、涼しげな皿に盛り付け、きな粉や黒糖蜜をかければよいだけである。
 手を洗い、指先でつまむと、ひんやりとしたくず餅の肌が、「ぷるんっ」と震えて、台形の一切れが、きれいにはがれた。もう一切れ「ぷるんっ」と、はがし、重ねると、くず餅の肌と肌が、「ぴとっ」と吸い付くように合わさった。
「……」
 この、ひんやり、ぷるぷるした触感の、なんというみずみずしさ!
 こんなに、ぷるぷるしているのに、くず餅は、切った角が崩れず、しゃきっと立っている。
 同じ夏の、白くて冷たい甘味でも、「白玉」は、きょろきょろと口の中を逃げまわり、そのくせ、いったん噛みつぶすと、今度はもちもちとして、いちいち歯にひっつく。
  けれど、くず餅は、肌が吸い付くほどしっとりしているのに、噛むとぶりぶりとし、歯にくっつかず、むしろそっけなく、水くさい感じすらする。このそっけない冷淡さが、暑い夏にはいいのかもしれない……。
 水遣りを終えた母と二人、庭に面した小さな縁側にお盆を出して、冷たいくず餅を食べた。
 小皿に6切れずつ、白い半透明の台形を盛り、きな粉の封を切り、さらさらさらと、まぶす。その途端、ふわんと大豆の香ばしさが広がった。その上から、透明なチューブに入った黒糖蜜を、とろ〜りとろり、とかけまわす。艶々と光る黒糖蜜は、しばしきな粉の上で玉のように溜まっているが、やがて、たら〜っとくず餅の崖をなだれて、皿に黒糖蜜のたまりを作る。
「いただきまーす」
 楊枝にぷすりと一切れ刺し、きな粉をこぼさないように、そーっと口に運んだ。
「……」
 きな粉のざらざらと、黒糖蜜のコクのある強い甘さが混じりあい、それがやがて、ひんやりとしたくず餅のぶりぶりとした冷淡な歯ごたえと絡み合っていく。
「なんだろう。すごくおいしいというわけじゃないんだけど、くず餅を食べると、なんだかお腹の中がきれいになるような気がするのよ」
  と、言いながら、母がお茶をすすった。
「うん、わかる」
 頷きながら、私も二切れめを、ぷすりと楊枝で刺して、そーっと口に運んだ。
 すべすべしたものと、ぱさぱさしたもの。味もそっけもないものと、濃い甘み。常温のものと、冷たいもの……。質の違うばらばらのものを、一緒に口の中で味わう違和感が一瞬、ある。
  けれど、やがてそれらは、ぶりぶりというくず餅の食感の中に混ざり込み、喉を通って下りていく。すると、あのくず餅のひんやりとした涼しさがやってくるのだ。
船橋屋の「くず餅」  そして、お腹の中を、ゆっくりと移動していくくず餅が、胃腸の汚れをきれいに押し出し、やがては私の肌も、くず餅のように、ぷるぷると瑞々しく揺れ、ぴとっと吸い付くような気がするのである。

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