身近な生活の中のおいしさあれこれを1ヶ月に1度お届けします 森下典子
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2009年11月―NO.84

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生醤油とやげん堀の七味がかかっている。
そりゃあ、とまらないのはわかっている。また罪深いものを知ってしまった……。

よ兵衛の「生醤油唐辛子」


よ兵衛の「生醤油唐辛子」
よ兵衛の「生醤油唐辛子」
(画:森下典子)

 5,6年前、缶入りのお徳用の煎餅を買ってひどい目に遭った。醤油味、塩味、辛いのや甘いの、いろいろあった。家の中にあの缶入りの煎餅があると思うと、落ち着かなかった。夜中だろうが缶を抱えて夢中で食べた。胃がもたれ、むくむく肥った。
 やめたくてもやめられない。煎餅地獄である。しまいに、早く家の中から煎餅を消してしまいたくなり、胃の中にどんどん入れた。やっと煎餅が見えなくなった時、なんだかホッとした。もう買うまいと思った。
 それなのに、人の気も知らないで、母はこうして時々、煎餅を買い、寝た子を起こす。
「ひどいよ。買って来ないでって、あんなに言ったのに」
「でも、今日のはお前、濡れ煎餅だよ」
「濡れてたって、割れてたって、煎餅は煎餅なの!」
「はいはい、そうですか。イヤなら食べなきゃいいでしょ」
「それができりゃ、苦労はないんだよ!」
 こうして私はまた、煎餅地獄にはまってしまう……。煎餅の罪は深い。
 その罪深き煎餅の中でも、最もいけないのが「揚げ餅」だ。砕いて干した餅を、油でこんがりキツネ色に揚げ、醤油を垂らしたりしてあったりするから、これはもう、たまったもんじゃない。
 揚げ餅といえば、私たちの子供の頃は、どこでも家で作っていた。今では、お餅は一年中、どこのスーパーでも一切れずつ真空パックに入って売っているけれど、あの頃は、お正月にしか食べなかった。それも、ついた餅を包丁で切り分けたもので、しばらくすると固くなり、ひび割れ、やがて青カビが生えた。
 お正月のお供えにする鏡餅も、今では白いビニールで覆われて、ネズミも滑り落ちるくらいツルンツルンだけれど、かつては、お正月も七日を過ぎる頃には、刃物も立たないほどカチカチになって、表面は、おばあちゃんの踵のようにひび割れていた。
 小学校の冬休みが終わって、三学期が始まるころ、毎年母は、この鏡餅で揚げ餅のおやつを作ってくれた。縁側の日向に新聞紙を広げ、カチカチになった鏡餅を、金槌で叩いて大きく割る。餅の塊は、表面が石のようだが、中心部はまだいくらか柔らかい。固い部分は、コンクリートのたたきの上でコンコンと金槌で叩いて小さく砕き、手で割れるものは手で割る。
 学校から帰ってきた時、母がこの作業をやっていると、なんだか嬉しくて、私も手伝った。餅の表面のひび割れが、雲母のように薄く反っていたりした。かけらは角が痛いほど固い。小さなかけらを口に入れると、一瞬、太陽の匂いがする。それをじっくりと噛みながら、かすかに柔らかさが残っている大きな塊を、手でモロッ、モロッと割っていく。口の中のかけらが、徐々に柔らかくなっていく。
「よーし、もういいよ」
 小さく砕いた餅のかけらを、母はざるに入れて台所に持っていき、大きな中華鍋にサラダ油を熱した。
「ジャーッ、サワサワサワサワ……」
 熱した油の上で、いっせいに騒がしく揚がっていく餅の白いかけらは、部分的にプッと膨らんだり、こんがりとキツネ色になったりする。やがて、焦げた香りが台所に広がると、母は網でいっせいに掬い上げ、チラシの紙の上で油を切る。そして、まだ熱々の揚げ餅に、醤油をさぁーっと回しかける。
「は〜い、食べなさい」
  母のその揚げ餅は、ある部分は白く膨れ、ある部分はキツネ色に揚がり、ある部分は固く、ある部分は柔らかく、醤油がかかったところと、そうでないところがあった。私はいつ、どんな時でも、目を閉じるとその揚げ色と匂いを思い出すことができる。

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