身近な生活の中のおいしさあれこれを1ヶ月に1度お届けします 森下典子

2011年5月―NO.100

絵画も文学も音楽も、

大人にならなければわからないものがあるように、

大人にならなければわからない和菓子がある。

松栄堂の「田むらの梅」


二十代の頃、母方の従姉であるミチコと一緒に、お茶の稽古に通っていた。ゴールデンウィークになると、ミチコは実家のある岩手県に帰省し、連休明けにはお土産を持って、稽古場にやってきた。
「毎度、同じものですが……」
 と、言いながらミチコが差し出した包みを受け取りながら、先生は、
「いつもありがとう。『田むらの梅』、私、好きなのよ」
 と、微笑んだ。

お茶
お茶

松栄堂の「田むらの梅」
田むらの梅
先生へのお土産は、みんなへのお土産でもある。先生は、さっそく菓子器に盛って、
「さ、どうぞ。ミチコさんのお持たせの『田むらの梅』よ」
 と、おすそ分けしてくださった。みんなでいただき、先生はそのたびに、
「やっぱり、おいしいねえ〜」 
 と、うっとりした顔をなさった。
 だけど、私には、わからなかった……。ちっとも、おいしいと思えない。それどころか、イヤな味である。
 ……包みをほどく前から、およそ菓子らしからぬ香りがする。中から現れたのは、高菜の漬物のような渋い色の団子である。それは、青紫蘇の葉っぱを漬けたもので、あたりに紫蘇の独特の香りがぷんぷんする。
 青紫蘇の葉を透かして、中身の、むっちりとした大粒の白玉のような団子が見える。触ると、つきたての餅のように柔らかい。求肥である。
 指でつまんで、ガブリと齧る。
「ブチッ」
 と、紫蘇の葉が破れた食感と共に、求肥の中から予想外の味が飛び出してきた。白餡のこっくりとした甘みに混じった、梅肉の酸っぱさと香り……。それらに、紫蘇の葉っぱが噛み切られるブチブチという音と、香りと塩気が混じり合う。白餡、梅、紫蘇という三者の個性が、それぞれにぶつかり、甘いやら、しょっぱいやら、酸っぱいやら、主張しあいながら口の中で混じり合う……。
 菓子とも漬物ともつかない理解不可能な味だった。私はいつも複雑な顔で食べ、急いでお抹茶を飲んで胡麻化していた……。
 その何年か後、ミチコは実家に帰ってお見合いし、結婚を決めた。青森で結婚するので、お茶をやめることになった。先生に挨拶するために稽古場に来た時も、
「いつもと同じものですが……」
 と、「田むらの梅」を持ってきた。私は、その、甘いような、酸っぱいような、しょっぱいような味を、複雑な顔で食べながら、ミチコと一緒に飲む最後のお抹茶を味わった。
 ミチコはそれから四人の子を産み、夫を支え、今やしっかりと家庭に根を張っている。私は今も、二十代と同じ原稿書きの仕事をしながら、毎週一回、お茶の稽古に通っている。あれから、お茶の稽古場に「田むらの梅」を持ってくる人はいなくなって、私はすっかり、あの味を忘れていた……。

この間、東日本大震災の被災地を応援するデパートの物産展に行った。被災地の産品を買うことで、復興を支える手助けになれば……という思いなのだろう。会場は、大変な人込みで、次から次へと商品が売れて行く。
 そんな中で、「田むらの梅」を見つけた。立ち止まって見ていたら、
「岩手の銘菓です。いかがですか?」
 と、売り場の人に勧められた。
(この味、好きじゃなかった……) 
 と、思いながらも、なんだか、古い知人に再会したような懐かしさを感じ、思わず一箱、買っていた。

松栄堂の「田むらの梅」
田むらの梅
家に帰り、お茶をわかしながら、包装紙をといて、紙箱の蓋を開けた。その途端、ふわーっと広がった紫蘇の香りの、頭の奥まで届くようなかぐわしさ……。
「あぁ〜」
 と、思わず目を閉じ、胸深く呼吸しながら、私は、ある予感に打たれていた……。
 一つ手に取り、紙の包みをほどくと、中から、渋い色の紫蘇の葉に包まれた丸い粒が現れ、その葉脈の透けた向こうに、むっちりとした求肥の団子が見える。
 食べる前から、もう紫蘇の香りと梅の香りが、みずみずしくぷんぷんと匂い立って、うっとりとなる。
(なんて、いい匂い……)
 指でつまんで、口に入れた。「ブチッ」と紫蘇の葉が破けた。……えもいわれぬ味と香りに、私は驚いた。
 もちもちとした求肥の食感、白餡と梅の果肉の醸し出す、柔らかな甘酸っぱさが、紫蘇の風雅な香りや程よい塩気と相まって、甘いとか、酸っぱいとか、そんな単純な言葉ではとても追いつかぬ。
 口の中で白餡と梅肉と紫蘇が混じり合い、鼻からさまようように抜けて立ちのぼる。それが味なのか、香りなのか見分けがつかない。
「あぁ〜っ、おいしい!」
 と、呻きながら、私は、二十代の頃わからなかった味を、これほどおいしいと感じるようになった三十数年の歳月を感じた。
 絵画も文学も音楽も、大人にならなければわからないものがあるように、大人にならなければわからない和菓子がある。「田むらの梅」はそういう和菓子だった。
 年を重ねることで、わからなかったおいしさがわかっていくのなら、私は喜んで年をとりたい。

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