身近な生活の中のおいしさあれこれを1ヶ月に1度お届けします 森下典子

2013年6月―NO.124

あぁ、京都だなぁ……と思った。白く美しくモチモチと柔らかい。

ほのかな甘さで、小ぶりで、ほんの二口、三口で終わってしまう。

三條若狭屋の「祇園ちご餅」


 父はふだん、至って穏やかな人だったが、お祭になると血沸き肉踊る性質だった。十代、二十代の頃はお神輿を担いだし、太鼓も叩き、喧嘩もしたらしい。
 私はお神輿を担ぐ父をこの目で見たことはなかったが、お囃子が聞こえると矢も盾もたまらぬ様子で出て行って、
「いやぁ、お祭り好きのおっちょこちょいがいっぱい出ておったわ」
 などと、声まで裏返してはしゃぎながら帰ってきた。
 うちの家族の中で「お祭り体質」は父だけだった。母は、はしゃぐとかハメをはずすということがない性格で、お祭に行ってもシラーッとしていた。私も弟も、幼い頃から、熱狂している人を見ると、なんだか気恥ずかしくて、その場の空気にどう溶け込んだらいいのかわからないところがあった。
 中学の頃だったか、一度、盆踊りの輪の中に引きずり込まれたことがあった。私は恥ずかしさの極致に至り、自分は今、どう見られているのだろうか、周囲から浮いているに違いないと自意識過剰になった。そして、そんな自分に、落ち込んだ。
「笛吹けども踊らず」
 という言葉を習ったのは、確か、中学の時だった。私は思わず苦笑した。これは、わが家のことだ。せっかく父が家族を喜ばせようとお祭に連れて行ってくれるのに、私たちはいつも楽しめない。
「どうだ。楽しいか」
 などと聞かれると、父に悪くて、しゅんとなった。
 浅草の三社祭りに行った父が、いつにも増して鼻息荒く、腕まくりして家に帰って来たことがあった。
「さすがは三社祭だ。すごかったぞお」
 父の体の中で熱い血が駆け巡っているように見えた。後日、父が撮影した写真を見た。その中のお気に入りの一枚を、父は大きく引き伸ばして得意げに私たちに見せた。
 薄化粧をし、鼻筋に一筋の白粉を引いた、七、八歳の美しい少女が、ねじり鉢巻きをし、肩肌脱いで太鼓をたたいている。
「どうだ、いい写真だろう」
 その写真を見た瞬間、ゾクゾクッとした。少女のきりりとした細面の顔に、幼いながら色気さえ感じた……。
 少女の後ろに見える、興奮でごったがえす町には、不思議な薄紫色を帯びた陽炎がゆらめいている。興奮で町が発熱し、日常の枠組みなどあっけなく乗り越えて、何かに化けられそうな気配が漂っていた。
「……いい写真だね」
 その写真を見ながら、いつか大人になった時、父のようにどこか遠い町のお祭に一人でふらりと行って、もみくちゃになりながら、その町の熱気に酔っている自分を想像した。
 働き盛りの父は、その後もあちこちに出張しては、「ついでに」と、足を延ばして、
「阿波踊りを見た。いやぁー、良かった。お揃いの黒塗りの下駄の音がカッカッカッと鳴ってなあ……」
「ねぶた祭の桟敷席だったんだよ。取引先がとってくれたもんだから」
 などと言った。

三條若狭屋の「祇園ちご餅」三條若狭屋の「祇園ちご餅」三條若狭屋の「祇園ちご餅」
三條若狭屋の「祇園ちご餅」
 祇園祭を見たのは、大坂出張の帰りだったらしい。父は夜遅い新幹線で帰って来て、
「ちょっと京都で降りて、祇園祭を見物して、鴨川の床で飲んできた」
 と、嬉しそうに母にお土産の紙袋を渡し、
「祇園祭のお菓子だぞ……。四条通がすごい人出でな、どこへ行っても、あの、コンコンチキチン、コンチキチンが耳に残ってなあ」
 と、言った。
 そのお菓子は、竹皮のような三角の包みで、おみくじのような、赤、白、黄色の短冊がヒラヒラと付いていた。なにやら「霊験あらたか」な護符のように見えた。
 包みを開くと、中には竹串に刺さった細長い菓子が三串入っていて、一本一本、丁寧に白いパラフィン紙に包まれていた。
 そのパラフィン紙をはずすと、見るからに柔らかそうな、細長いナマコ型の餅菓子である。幼児の頬の様な白くて柔らかい餅の表面には、霜が降りた様にキラキラ光るものがまぶされている。
 串を口に入れた途端、フニュッとして、それからモチモチとした食感が来た。求肥餅だ……。求肥餅は、なんとおいしいのだろう。噛んでいると、うっすらとした甘みの中から、ほのかに味噌の風味がする。白味噌餡である。
 あぁ、京都だなぁ……と思った。白く美しくモチモチと柔らかい。ほのかな甘さで、小ぶりで、ほんの二口、三口で終わってしまう。私は、その食感とうす甘い味を、いつまでもいつまでも記憶の中で反芻し、あれをお腹いっぱいになるほど食べてみたいと思った。
 その父のお土産が、三條若狭屋の「祇園ちご餅」だったと知ったのは、つい最近のことである。昔、祇園祭のお稚児さんの行列に、味噌だれのついた餅がふるまわれていたのを、大正時代に復活させたのだそうだ。三角の包みは、祇園祭の山鉾の形で、短冊には「厄を除け、福を招く」とある。
 ……私が祇園祭を見たのは、三十代半ばのことだった。京都に取材で行った翌日、たまたま「山鉾巡行」にぶつかった。身動きもできない四条通りで、コンコンチキチン、コンチキチンという祇園囃子が最高潮に高まり、「おおーっ」と、どよめきがわきあがる。その熱気の渦に、私も溶け込んでいた。
三條若狭屋のホームページ

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