身近な生活の中のおいしさあれこれを1ヶ月に1度お届けします 森下典子

2014年2月―NO.132

時代を超えても変わらぬ真面目な風味が、鼻孔をくすぐった。

洋菓子舗ウエストの「ドライケーキ」



リーフパイ
 

そういえば、あのコマーシャルを、このごろ見ていない。今もどこかで流れているのだろうか……。エリック・サティのジムノペティが、ゆったりと流れる中、風に揺れる花々が、ヒーリングのビデオのように、ただ淡々と画面に映し出される。
騒々しいCMが入れ替わり立ち替わり流れている昼間のテレビに、突如、そういう「間」が入るのだから、(どうした?)と、心配になる。昔、放送事故が起きると「しばらくお待ちください」という画面が出たものだったが、なんだか、それを思い出す。
そして、長い「間」のような映像の最後に、
「ドライケーキのウエストでございます」
と、丁重な挨拶口調のアナウンスが入るのである。
「洋菓子舗ウエスト」のドライケーキは、首都圏のデパ地下でよく見かける東京みやげの「定番中の定番」である。ただの「定番」はどこか新鮮味に欠けるけれど、「定番中の定番」というのは、フランク・シナトラの「マイウェイ」やエディット・ピアフの「愛の賛歌」のように、どんなに時代が変わっても魅力を失わない。
私がドライケーキの詰め合わせを買って帰ると、母は、
「私、これもらうわ!」
と、真っ先に「リーフパイ」に手を伸ばす。パリッとした薄いパイで、表面にザラメがいっぱい付いてキラキラ光る。割れる時には、「バリ!」と音がして、ふわんとほのかにバターの香ばしさが香り、薄い葉の割れ口に、重なり合ったパイの繊細な層が見える。
私が好きなのは、丸いクッキー生地に砕いたマカダミアナッツがいっぱい入った「マカダミアン」と、ココアパウダー入りのクッキー生地にクルミが入った「ウォールナッツ」。それと、マカダミアナッツが丸ごと入った「ガレット」も外せない。
クッキーがモロッと割れると、フワンとバターの風味が鼻孔をくすぐり、クッキー生地のザクザクとした歯ごたえに混じって、クルミやマカデミアナッツの濃厚な滋味が広がる。


手前はウォ−ルナッツ、右はマカダミアン、左はガレット

先日、20数年ぶりに銀座七丁目にある「銀座ウエスト」の喫茶室に行った。週刊誌の取材をしていた頃、編集者との打ち合わせで何度か来て以来である。あの頃、外堀通りに面したウエストの入り口には、スイスのレストランみたいな可愛い鉢植えの花々が並んでいて、小さな入口のドアの向こうに入ると、そこには60年代の映画に出てくる高級なホテルみたいな空気が流れていた。
 あまり広くない空間に、レストランみたいなテーブルと背もたれの高い椅子が並んでいる。テーブルには、アイロンのきいたまっ白いリネンがかかり、椅子の背もたれにも、レースのついた白いカバーが掛けられていた。
 時間の流れがゆっくりと感じられる理由は、流れる音楽のせいかもしれない。壁際のオーディオから、クラシックの名曲「アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク」が流れているが、読書するにも、考え事にふけるにも丁度よいくらいの音量である。本棚には、古くからのものらしいレコードがびっしりと並んでいる。その横にデンと飾られた大きなベートーヴェンの胸像が、この店の象徴のように見えた。
「僕ね、ここのウェイトレスさんの制服、好きなんだよ」
 当時40代だった編集者のおじさんは、そう言って、水のお代りを持って来てくれた女性に目をやった。白いシャツブラウスに黒いタイトスカート。街ではボディコンが流行っていた時代に、それは驚くほどクラシックな制服だった。
 あれから20数年……。「銀座ウエスト」の入り口は、今もスイスのレストランみたいに可愛い鉢植えが並んでいた。金のロゴのついたドアを押すと、今日もクラシック音楽が、程の良い音量で流れ、壁際のベートーヴェンの胸像も、テーブルのまっ白いリネンも、椅子の背の白いカバーも昔のままだった。
 満席だったので、しばし待つことになった。席が空くと、ウェイトレスさんは、テーブルの上を片付け、椅子の座面と背もたれにブラシまでかけて席を整え、案内してくれた。

お茶
 紅茶とケーキが来るまで、テーブルの隅に重ねられている「風の詩」という三つ折りの文芸紙を読んだ。一般の投稿者の中から選ばれた随筆が掲載されていて、毎週発行されるという。その発行回数を見ると、なんと3395号!募集要項を見ると、散文でも詩でも良いが、
「弊店に関した記事はご遠慮ください」
 つまり、ウエストにおべっかを使った作品は載せないというのだ……。
 その「風の詩」を重ねた上に置かれていたペーパーウェイトには、
「珈琲、紅茶のお代りはご遠慮なくお申し付けください。味加減がお好みに合わないときは淹れ直しいたします」
 とある。何たる愚直……。
 素朴な雰囲気のウェイトレスさんが、紅茶とケーキを運んでくれた。砂糖&ミルクの銀器は長年使いこまれて細かい傷がつき、磨かれてピカピカに光っていた。
 売店で「ドライケーキ」を買って帰った。母は「あ、リーフパイ!」と手を伸ばし、私はウォールナッツを口に入れた……。味覚は、作り手の心をそのまま感じ取る。銀座の喫茶室で感じたのと同じ、時代を超えても変わらぬ真面目な風味が、鼻孔をくすぐった。

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