身近な生活の中のおいしさあれこれを1ヶ月に1度お届けします 森下典子

2014年7月―NO.137

私が好きなのは、オーソドックスで素朴、そして幸せそうな色をした

同發の「マーライコウ」



地方にいる知り合いが、時々「うちの畑で穫れたものです」と、大きな段ボールいっぱいの名産品を送ってくださる。こちらからも何か横浜らしくて喜んでいただけるものをお送りしたいと思うのだが、そういう時いつも、
「横浜の名物って、なんだろう」
と、考え込んでしまう。
「青森のりんご」「小田原のかまぼこ」「静岡のお茶」「博多の辛子明太子」のように、全国的に知られたもので、「横浜の○○」と言えるもの……。これが、なかなか思い浮かばないのだ。
 そして、あれこれ考えた末に、やはり横浜らしさといえば「異国情緒」。異国情緒といえば、その代表は中華街ということになり、ありきたりだけれど「中華菓子の詰め合わせ」を送るという結論に落ち着き、相手から大いに喜ばれたりする。
 中華菓子の詰め合わせといえば、その代表は「月餅」である。中国では昔、旧暦八月十五日の中秋節の行事に、果物や野菜と一緒に月餅を神様にお供えしたそうで、今でも中秋節には家族や友人と食べる風習があり、また贈答品としても使われるという。
 横浜中華街のみやげ物売り場では、中秋節に関係なく、一年中、大きな銀の盆にお供えのように積み上げられた月餅が並んでいる。種類はたくさんあるが、どれも満月に見立てた丸くて平べったい形で、濃いきつね色の焼き皮の中に黒い餡がみっしりと詰められ、クルミ、松の実、栗、ドライフルーツなどが入っている。
 月餅の他にも、けばけばしい桃色のパイ皮の中に餡を詰めた菓子や、真ん中にアーモンドが1粒入った丸いクッキー、油で揚げた中華風のおこし、ねじったかりんとうなどがあるが、餡入りの饅頭か、油で揚げた菓子が圧倒的に多い。
 その、お供え物が積み上げられたような中華菓子売り場の隅っこに、伝統的な菓子とはちょっと趣の違う蒸しケーキが置いてある。「馬拉?」と書いて「マーライコウ」とか「マーラーカウ」などと呼ぶようだが、どっちの読み方が正しいのか知らない。卵色で、形は、モンゴル平原のパオのようなドーム型。サイズは大小あるけれど、大きいものは、よく切り分けられて売られている。
 初めてマーライコウを食べたのは、もう二十五年くらい前になる。中華街の路地にある小さな店の前を通りかかったとき、店先で売られているのを見て、ふと、子供の頃、祖母が作ってくれた蒸しパンを思い出したのだ。
 祖母が蒸し器の蓋をあけると、真っ白い湯気が魔法のようにもうもうと上がり、幼い私は、うす甘い香りと、湯気の暖かさに包まれながら、蒸しパンの表面が生き物のようにふくふくと膨らんで呼吸しているのを見た。
「あちち、あちち」
 と言いながら祖母が手渡してくれたその蒸しパンを、ふうふうと吹き冷ましながら食べた。手で二つに割くと、海綿のように柔らかくふわふわとし、中には、クリームも餡も入っていない。かすかに甘いだけで、とびぬけておいしいわけでも、香料のいい香りがするわけでもないのだが、私は小麦粉そのものの甘みのような、素朴な優しい味が好きだった。お日様によく干して、ふかふかになった布団に顔を埋めるように、蒸しパンに顔を埋める。温かいうちは、湯気の甘い香りがし、だんだん冷めて生地が固くなってくると、その食感もまた好きで、いくらでも食べられた……。

同發の「マーライコウ」
 中華街の路地でみかけたマーライコウは、大きくざっくりと切り分けられ、ビニール袋に入れられていた。中身は何もなく、断面は海綿のようで、祖母の蒸しパンのように素朴だった。
「これ、ください」
 値段を忘れたが、拍子抜けするほど安かった印象がある。家に帰って、さっそく食べてみた。袋から出すと、それは予想していたよりも、肌理が細やかで、ずしっと持ち重りがした。
 それにしても、なんとおいしそうな色だろう……。もし、「幸せ」というものを色で表すとしたら、私は迷わず、それは「卵色」だと答える。その明るい卵色を手でむしると、指先にかすかな油分が残る。生地には不思議なコシと粘りと、もちっとした感触がある。口に入れると、鼻の奥にうす甘い香りがやってきて、卵色の海綿に、練乳らしき風味をほのかに感じた。
 他には何もない……。ただただ素朴な味がした。もちっとして、うす甘く、ほのかに乳くささを感じる風味が鼻先を過るばかりである。それなのに、私はその「素朴」という味にすっかり魅了されていた。最後まで飽きることなく口へ運び、気が付いたら大きな塊が消えていて、おなかがズシッと重かった。
 蒸しパンに似ているが、蒸しパンではない。カステラでもないし、シフォンケーキでもない。マーライコウは、そのどれとも微妙に違う位置に立っている。
 今も私は中華街に行くと、ちょくちょくマーライコウを買って帰る。最近は、月餅以外のスウィーツも増え、各店ごとに特徴のあるマーライコウを売っているが、私が好きなのは、オーソドックスで素朴、そして幸せそうな色をした「同發」のマーライコウだ。
 コーヒーにも紅茶にも日本茶にも合う。が、一番、その素朴な風味が引き立つのは、やはり中国茶だろう。

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