身近な生活の中のおいしさあれこれを1ヶ月に1度お届けします 森下典子

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2015年2月―NO.144

表面は薄氷をかみ砕く食感だが、中はとろりとして、
その混ざり合う感触が小気味いい。
そして、表面が白く糖化しているというのに、甘みがくどくない。
それは、甘みが少ないのではなく、たぶん、純粋なのだ。

村岡総本舗の「小城羊羹」

 先日、旅行雑誌の取材の打ち合わせでお目にかかった佐賀県首都圏営業本部の方から、羊羹の詰め合わせを頂戴した。
「実は、佐賀県は一世帯当たりの羊羹の消費額が日本で一番高いんです」
「へえ~!」
「毎年、二位を大きく引き離して、ダントツの一位です」
 なんでも、他県の倍以上、羊羹を食べているらしい。なぜだろう……。
 キーワードは「長崎街道」だという。長崎街道は江戸時代に整備された脇街道で、小倉を起点に長崎に至る約二三〇キロの道だ。鎖国の時代、長崎は幕府が唯一外国との交易を行う港だったから、この道は非常に重視され、異国の文物が、長崎街道を通って京都、大阪、江戸へと運ばれた。
 その貿易品の一つが、当時の日本では大変貴重だった砂糖。砂糖と一緒に、お菓子のレシピも伝わり、街道沿いに、カステラ、鶏卵素麺などの甘い南蛮菓子の文化が花開いたことから、長崎街道は「砂糖の道」「シュガーロード」と呼ばれている。
 あ……!今、不意に、長崎で食べた皿うどんが、びっくりするほど甘かったのを思い出した。もう一つ、「長崎てんぷら」も思い出した。普通のてんぷらのつもりで食べたら、衣が甘いフリッターだったのだ……。そして、長崎の老舗のカステラの底の、ジャリジャリとしたザラメの食感がよみがえった。
「そうか、長崎は砂糖の町なのか!」
 思わず膝を打った瞬間、もう何十年も昔、わが家の二階に下宿していた九州の大学生を思い出した。ある時、夏ミカンを食べながら、その人が酸っぱそうに顔をしかめて、こうつぶやいたのだ。
「長崎が遠かね……」
「長崎……?」
 その時、その人は、
「うちのほうでは、甘さが足りない時、『長崎が遠か』て言います。長崎は甘いものがいっぱいあるけんね……。こっちでは言わんとですか?」
 と、言ったのだ。
 長崎=砂糖。砂糖=長崎。
 人々の意識の中に、そんな図式が刷り込まれるほど、長崎街道のまわりは甘いものに恵まれていたということだろう。
 さて、ずいぶん遠回りしてしまったが、話を元に戻そう……。佐賀県の羊羹の話だ。実は、長崎と小倉を結ぶシュガーロードの街道の半分は現在の佐賀県を通っていた。
 だから佐賀県では、丸ぼうろ、金花糖などの甘い菓子が生まれ、中でも、小城(おぎ)という城下町には、二十数件もの羊羹屋があって「小城羊羹(おぎようかん)」として知られているのだそうだ。
 その晩、夕食後にお茶をいれた。煎茶を濃い目にして、急須の口から落ちる最後の緑の滴を、しぼるように湯飲み茶わんに落とした。そして、小城羊羹をあけてみた。
「肥前小城名産 小城羊羹」
「村岡総本舗製」
 と、ある。まるでイギリスの壁紙のような、美しい包装紙をほどいて箱をあけると、桜の花の絵を散らしたスティック状の小箱が色違いで並び、それぞれに「本練」「小倉」「挽茶」という種類に分かれている。
 小箱の口を開け、銀色のラミネート包装をくるりとはがすと、みずみずしく光る一口羊羹が現れた。片手で気軽に口に運び、二口三口味わった途端、ハッとした。手に持った残りの羊羹の、歯型のついた部分を改めて見つめ、(これは……)と思った。澄んだ甘みと小豆の風味が、なんとも上品で、煎茶の味と見事に合う。
 その翌週、たまたまデパートの催事場に買い物に行き、また小城羊羹と出会った。すでに見慣れた桜の花の包装が並んでいたが、私はその横に置かれていた銘々皿の上の切り分けられた羊羹にじっと見入った。
「……?」
 羊羹の表面がうっすらと白くなっている。
「これ、なんですか?」
「切り羊羹です。この白いのは、砂糖が糖化したものです。時間の経過でこのように糖化して、表面がシャリシャリとした食感に変わります。これが昔ながらの羊羹なんです」
「はぁ~」
 子供の頃、おばあちゃんの家に行くと羊羹を出してくれたが、ときどき、端っこが固くなっていて、食べるとジャリジャリした。
 このごろでは、どこの羊羹もラミネート包装されていて、日持ちが長くなり、いつまでもみずみずしいままだ。こんなふうにジャリジャリした羊羹を見るのは久しぶりだった。
「一本ください」
 太い本練を一棹買い求め、家に帰ってさっそく開けてみた。包装紙をほどくと、昔懐かしい竹の経木である。その経木をそっとはがすと、闇を木箱に流し込んで固めたような羊羹が現れた。その表面は、まるで冬の湖面の薄氷のように張りつめ、細かいヒビで白っぽく靄っている。
 ガリガリと包丁を入れ、皿に載せていただいた。楊枝で角を押し切り、一口食べてみる。……シャリ、シャリと、頭の中で音がする。表面は薄氷をかみ砕く食感だが、中はとろりとして、その混ざり合う感触が小気味いい。そして、表面が白く糖化しているというのに、甘みがくどくない。それは、甘みが少ないのではなく、たぶん、純粋なのだ。
 砂糖はいかに人間を幸せにするか……。シュガーロードの羊羹の味が、そのことを改めて思い出させてくれた。

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