身近な生活の中のおいしさあれこれを1ヶ月に1度お届けします 森下典子

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2015年5月―NO.146

頭の中で「お江戸日本橋七つ立ち」のメロディーが聴こえるような気がした。

榮太樓総本舗の「繁盛団子 味たら志」と「日本橋餅」

榮太樓総本舗の「日本橋餅」 初夏のようなぽかぽか陽気に誘われ、久しぶりに日本橋で電車を降りた。三越本店に入ったら、「大誕生祭」というポスターが目に飛び込んできた。三越本店のシンボルである天女像の顔のアップが写っている。なんでも、本館中央ロビーに天女像が設置されて、今年で55年だという。
「へえー、天女は55歳なのか……」
 意外にも、私より天女の方が、ちょっと若いのだった。
 ポスターの中の天女の目が、なんだかじーっとこちらを見ているような気がした……。

 あれは何の番組だったろう。子供の頃、昼間の決まった時間にいつも流れる三越のコマーシャルがあった。民謡「お江戸日本橋七つ立ち」のメロディーが重厚な雰囲気で流れる中、極彩色の天女像が画面いっぱいに映し出される。
 私はその天女像が怖かった。舞い下りた天女の背後には、羽衣が蛇のようにうねうねとたなびき、雲やら鳥やら花やらが隙間なくびっしりと密集して、まことにおどろおどろしかった。
 母に連れられて初めて三越本店へ行った時も、(どこかに、あの天女がいる)と思うと、緊張した。果たして、中央ロビーの恐ろしく高い吹き抜けに、天女像はそそり立っていた。見上げた瞬間、背筋がゾーッと泡立ち、私は思わず母のスカートをギュッと握った。そして、怖いもの見たさで、母の陰から、そっと天女を仰ぎ見た。
 それきり、三越の天女像をじっくり眺めたことはない……。特に、ここ二十年ほどは、三越本店に行っても、地下一階の食料品売り場をサーッと歩くだけで、天女の存在自体、すっかり忘れていたのだ。
 何十年かぶりに、本館中央ロビーに行ってみた。ちょうど「全国銘菓展」が行われていて、全国の老舗和菓子店が「天女」をモチーフに美しい意匠の菓子を作り、限定販売していた。
 「瑞雲の光」という上生菓子を買い求め、会場でいただくことにした。
「お席は、あちらでございます」
 と、案内された場所は、まさに中央ロビーの、天女像の真正面だった。
 久々に対面した天女は、ルーブル美術館の「サモトラケのニケ」のように、正面大階段にそびえていた。見上げると、吹き抜けの天井はステンドグラス。その真下に、火炎太鼓のような天女の像……。西洋と東洋が絡み合い、神々しいのか怪奇なのか混沌としている。その圧倒的なエネルギーは凄まじく、やはり今見ても足がすくむ。

榮太樓総本舗の「繁盛団子 味たら志」 この日の帰り、地下一階の売り場を歩いて、榮太樓総本舗の前で足が止まった。
「あ、みたらし団子だ……」
 私は串団子に目がない。特にお花見のシーズンになると、無性に串に刺さった団子が食べたくなる。その証拠に、本連載でも、これまでに「羽二重団子」と「茂助だんご」を取り上げたが、どちらも四月に書いている。
(ちなみに、水羊羹も二回書いたが、どちらも六月だった)
 別に、「団子は四月」「水羊羹は六月」と、季節感を考慮したわけではなく、本能に素直に従うと、そうなってしまうのである。初夏のような陽気になってあちこちに花が咲き、久々に人ごみの中に出かけたりすると、体が「団子」を思い出す。そして、歩いていると、本当にばったりと団子に出くわすのだ。
 この日の出会いも、そんな風だった。榮太樓総本舗のガラスケースの中で、こんがりときつね色に焼けた串団子が、醤油色のタレにとろりと濡れ光りながら私を呼んでいた。
「…………」
 急に、胃が切なげな声で鳴いた。
 その名は「繁盛団子 味たら志」。
「日本橋の手土産100選に選ばれました」という。どうやら、ただの醤油と砂糖の甘辛いみたらし団子ではないらしい。説明書きによれば、タレに、「にんべんのかつおぶし」が使われているというのだ。
榮太樓総本舗の「日本橋餅」 さらに、同じガラスケースの隣にも目が惹かれた。ぴかぴか光る、見るからに上等な海苔に包まれた餅が並んでいた。
 こちらの名は「日本橋餅」。「にんべんのかつおぶし」と「山本海苔店の海苔」が使われている。
 そういえば、榮太樓の初代は江戸時代、日本橋のたもとで屋台店を出していたそうで、本店は今も日本橋のたもとに紺藍染めののれんを出している。この「日本橋餅」という一見さりげない海苔餅の中に、「にんべん」「山本海苔」「榮太樓」という日本橋の三大老舗が結集していた。
 買ってすぐさま家に帰り、さっそくお茶を入れて「おやつ」にした。
「あら、おいしそう」
 八十二歳の母は、私以上に餅に目がない。二人で、繁盛団子を頬張って、
「……あ、このタレ、いいお味」
「お出汁がきいてる」
 と、頷き、目を見張り、続けて日本橋餅に手を伸ばしては、柔らい餅の中の出汁のきいたみたらし味と、海苔の風味に、ただただ「うん、うん」と頷き、
「さすが、お江戸だねえ」
 と、つぶやいた。
 頭の中で「お江戸日本橋七つ立ち」のメロディーが聴こえるような気がした。

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