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2017年2月―NO.167

人を驚かすって、実に楽しい。

西川屋老舗の「長尾鶏の玉子」

 母は若いころから歌うことが好きだった。庭先で物干し棹に洗濯物を広げながら、台所で芋の皮を剥きながら、童謡や唱歌をよく通る高い声で気持ちよさそうに口づさんでいた。もっとも、歌そのものはいい加減で、自分の好きな部分だけ何回もリフレインしたり、歌詞を思い出せなくなると、適当にハミングで胡麻化して、そこから先は別の歌につながったりした。
 けれど、幼少期から少女時代と、いつもその歌声の聞こえる場所で遊びながら育った私の心には、母の歌によって、パン生地が練り込まれるように、日本の情緒的な旋律と詞が練り込まれた気がする。
 「宵待ち草」「浜千鳥」「夏の思い出」「城ケ崎の雨」「待ちぼうけ」「波浮の港」……。中でも、母が最も頻繁に口ずさんだのが「南国土佐を後にして」である。昔、ペギー葉山さんが歌って空前の大ヒットになった歌で、母は気分がいいと、ひときわ高い声で歌い上げた。この曲の後半には土佐民謡「よさこい節」が歌い込まれていて、私はその、
「土佐の高知のはりまや橋で、坊さんかんざし買うを見た」
 という部分の、おおらかな節回しが好きだった。この一節を聞くたび、子ども心にも、独特の南国情緒を感じながら、
(土佐のはりまや橋って、どんな橋だろう)
 と、見知らぬ土地の景色を想像していた。
 歌の力は大きい……。子どもの頃から耳に馴染んでいたこの歌の印象がそうさせるのだろう。まだ一度も行ったことがないうちから、私はなぜか「土佐」に、他人じゃないような親しみを感じた。

 さて先日のことである。いつものように高島屋の地下にある全国の銘菓の売り場を歩いていたら、坂本龍馬の御馴染みの肖像写真が目に飛び込んできた。
(なぜお菓子売り場に、坂本龍馬?)
 見ると、写真の脇に「土佐銘菓 ケンピ」と書いてある……。
 ケンピといえば、サツマイモを拍子木に切って油で揚げ、砂糖で絡めた「芋ケンピ」をよく食べるが、それはサツマイモではなく、小麦粉で作った棒状の素朴なお菓子であった。 そのコーナーに、「西川屋老舗」という土佐のお店が出品していたのだ。
(へえ~、土佐の銘菓かぁ……)
 いくつか並んでいた見知らぬお菓子の中に、気になるパッケージを見つけた。
「長尾鶏の玉子」
 山吹色の掛け紙に、「長尾鶏」なのだろうか、一見、鶏のようなイラストが描かれている。面白いのはその掛け紙の下のパッケージだった。厚紙でできた本物の鶏卵用のトレーが使われている。
「あら、面白いわ」
 立ち止まって見ていたら、売り場の女性が、
「中身も面白いですよ」
 と、声をかけてくれた。
「面白いの?」
「いえ、面白いだけじゃなくて、味もおいしいんです」
 買って帰り、包みを開けてみると、小さな説明書が付いていた。「長尾鶏」は、高知県南国市で交配によって誕生した珍鳥で、尾の長さが十メートルにもなるという。大正七年に天然記念物に指定されたのを祝って作られたのが、この「長尾鶏の玉子」だという。
 厚紙のトレーの中には、ビニールで包装されたお菓子が立てて並べてある。その包装を取り去ると、
「わぁー!」
 まるで本物の卵である。赤玉の鶏卵のような茶色い殻。……だけど、手触りは卵ではなく、最中の皮。
(いいアイデアだな)
 私はお湯を沸かし、お茶を入れて、猫と遊んでいる母に声をかけた。
「ねえ、お菓子を買ってきたから、一緒に食べない?」
 それから、ビニールの包装を全部はずし、厚紙のトレーに改めて並べ直し、そのままテーブルの真ん中に出した。
 母はきょとんとなった。
「なによ、卵なんか……」
「まあ、1つ取ってみてよ」
「え、これを?」
 怪訝な顔で、恐る恐る卵を手に取った母は、急に相好を崩して、
「……あら、最中!」
 と、笑った。
 人を驚かすって、実に楽しい。
 お茶を啜り、私も卵を手に取り一口齧った。すると、パリパリと最中の皮が弾ける食感と共に、中から何やら粘りのある白いものが現れた。
「……?」
 マシュマロだった。そして、その白身に見立てたマシュマロの真ん中に、丸い黄味餡が包まれていた。
「へえ~!」
 今度は、私自身も驚いて、母と顔を見合わせて笑った。
「これ、土佐のお菓子なんだって」
 そういうと、母は、
「洒落てるねえ……」
 と、言いながら、残りの卵を頬張り、「おいしかったわ」と、猫の方に戻り、背中を撫でながら、
「南国土佐を後にして~」
 と、久々に高い声で口づさんだ。

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