身近な生活の中のおいしさあれこれを1ヶ月に1度お届けします 森下典子

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2017年3月―NO.168

天女の羽衣のような色を、見れば見るほど恍惚となった。
どんなに見ても飽き足らず、何粒食べても、もっと食べたくなる。

山下おいり本舗の「おいり」

 子どものころ、近所の商店街に手芸用品のお店があった。入口が小さくて奥行きの深い「うなぎの寝床」のような店だったが、片側の壁一面に白い紙箱が積み上げられ、その箱の引き出し状の表面に、きれいな色のボタンが大きさの順番にズラッと並んで陳列されていた。反対側の壁の棚の中には、色とりどりの毛糸やレース糸、アップリケ用のフェルト生地……。その店の中は、美しい色に溢れていて、母が洋裁に使う裏地やファスナーなどを選んでいる間、私は宝石のように輝くボタンや、ふわふわの毛糸を、飽きることなく眺めていた。
 中でも、私の心を虜にしたのは、店の奥にあるプラスチックの引き出しの中に並べられた刺繍糸だった。紫、赤、橙、黄、黄緑、緑……と、艶やかな糸の束が、虹のように並んでいる。それも、一つの色から次の色への変化がなだらかなグラデーションになって溶け込むようだ。
(色というのは、こんなにも微妙に分かれているものなのか。この世界は、なんて美しいのだろう!)
 私は、引き出しの中の刺繍糸の甘美な配列を瞳に映しているだけで、目が蕩けそうな心地よさを覚えた。
 美しい色のものを見ると、元気が湧く……。それは、大人になってからもそうだ。多少落ち込むことがあった日でも、色とりどりのスカーフ、ブラウス、マニュキュア、帯揚げなど、素敵な色のものが並んでいるのを目にすると、たちまち気持ちがパーッと華やぎ、心が上向きになるのだ。
 もしかすると、私たち女子は、色からエネルギーをチャージしているのだろうか。いや、ひょっとすると、「美しい色」を心で食べて、栄養として取り入れているのではないだろうか……。

 「色」を食べるお菓子がある。女の子の節句「雛祭り」の「雛あられ」である。桃色、黄色、白、水色……。スイトピーの花のように淡いパステル系のあられは、空気のように軽く、口に入れるとサリサリというかすかな食感と、砂糖の甘みだけを残して、消えていく。その優しい色のあられを思う存分食べた後に感じるのは、満腹感ではなく、安心と安息。そして、何かに思いきり熱中した後の恍惚感だ。
 その「雛あられ」よりももっと私の心を蕩けさせてくれるお菓子と出会ったのは、父方の従弟の結婚披露宴で、だった。
 華やかな宴もそろそろお開きという頃、引き出物の袋を係の人がそっと席の脇に置いてくれた。ふと目をやると、その袋の一番上に、プラスチックのパッケージが見えた。
(わぁ~きれい!)
 そのパッケージの中には、空に一斉に放された風船のように、カラフルな玉がいっぱい入っていた。粒は直径1センチほどで真珠のように丸い。

 私は陶然としながら、いつか飛行機の機内誌の広告で見たゲランの化粧品を思い出した。貴石細工のような美しい模様の箱の中に丸い粒状の美しいパウダーがコロコロといっぱい入っていて、確か、「メテオリット」と言った。
 その引き出物のパッケージの中の粒は、殻が透けるほど薄く、見るからに軽やかである。ピンク、白、レモンイエロー、若草色、水色、オレンジ色、藤色……。まるで天女の羽衣のような、甘く柔らかい色彩の粒たちが、パッケージの中に無数に入っている様は、可憐で優しく、私はなんだか気もそぞろだった。
「引き出物の一番上のお菓子は、香川県の西讃岐地方に伝わる『おいり』です」
 と、司会者が説明を始めた。従弟の結婚した女性は、その西讃岐地方の出身である。
 その昔、讃岐国、丸亀の城主、生駒親正公の姫君がお輿入れなさるとき、領内の農家の人びとがお祝いにと五色の煎りもののあられを献上したところ、殿が大変喜ばれ、ご褒美を賜ったのがはじまりだという。以来、この地方では、嫁入りの「入り」と「煎る」を掛けて、「おいり」と呼ばれるようになり、婚儀の折には欠かせない伝統菓子となったという。
 作り方は、餅米を水に一晩浸して蒸し、砂糖を混ぜて杵で付き、綿棒で平らに伸ばして天日で乾燥させ、乾いたものを5ミリ四方の賽の目に切って……(略)と、なんと完成するまでに一週間もかかるのだという。
 椅子にじっと座って、その長い説明を耳にしながら、私は早くそれを味わってみたい衝動をじっと堪えなければならなかった。可憐な色から目が離せない。透けるような薄さや、軽やかさを思い、ほのかな甘みや、口の中で砕ける食感を思い描いた。
 その夜、家に帰り着くや、私は着替えもそこそこ、「おいり」を取り出し、食べてみた。小さな丸い玉は、紙風船のように軽く、そっと触らなければパリッと割れてしまう。そっと拾い上げ口に入れた。湿った暖かい口に入ると、それは舌と上顎の間で、ぺしっと潰れて消え、かすかな甘い空気と、ほのかなニッキの香りだけが残った。
 天女の羽衣のような色を、見れば見るほど恍惚となった。どんなに見ても飽き足らず、何粒食べても、もっと食べたくなる。私は色とりどりの粒を手のひらに受け、一気にザーッと口に入れた。
 美しい色は、女子の心の栄養なのだ。

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