森下典子 エッセイ

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2003年9月―NO.12

  


上質の素材を使って
丹念に作られた羊羹の味は
すぐにそれとわかるのである

八木菓子舗の「元祖 三石羊羹」












ヨウシュヤマゴボウ(画:森下典子)

 もしかすると、日本人のDNAは、ある年齢に達すると自動的に餡子の味に目覚めるようにできているのではないかと思うことがある。
 ともあれ、今の私は、餡子なしでは生きていけない「真性日本人」である。釣り人が、糸の「引き」だけで何の魚かわかるように、お土産の重さだけで、「羊羹」がわかる。
「ねえ、北海道の羊羹もらったの。食べる?」
 茶の間の母に声をかけた。
「あら嬉しい。お茶いれてよ」
 母は、テレビのワイドショーの方に顔を向けたまま、答えた。
 我が家では、お茶とお菓子は、私の担当である。母はとても料理がうまいが、どういうわけか、お菓子となると、シュークリームを平気で漬物の皿に乗せるようなところがあって、任せておけないのだ。 私は「三石羊羹」一本を手にとり、竹皮の模様を印刷したパッケージを開けた。中身は紙の密封包装でぴったりコートされている。包装のまま俎板に乗せて、刺身でも切るように、静かに包丁を引いた。「切り身」のまわりの包装紙を、ぺらーっと剥がす。
 夜の霧をギュッと凝縮したような羊羹が、濡れてつるんと光っていた。
(うわ、きれい……)
 ライトグリーンの皿にそっと乗せ、濡れた指先を、思わず口に持っていった。
(……)
 予感がした。
 羊羹を食べる時、私はいつもより丁寧に煎茶をいれる。なんてったって、羊羹は和菓子の王である。和菓子の王には、見た目に美しい細工はない。ただの棒である。その棒が、「どーだ!」と、ストレートに、味だけで勝負している。その甘さを受けて立つのだ。
 急須は丁寧にすすぎ、新しい茶葉を入れる。
 湯を適温に下げ、急須に注いで、うまみが出るのをじっと待つ。そして、
 とろとろとろとろ……
 湯飲みに注ぐ。母と私の湯飲みに、均等にうまみが行き渡るよう、交互に。茶の葉から、その緑色のうまみと香りを、搾り取るように注ぎきる。最後の一滴が、急須の注ぎ口から、ポチョン!と湯飲みに落ちた。
「お茶、はいったよ」
「うん」
 生返事のまま、ワイドショーに顔を向けている母の前に、羊羹とお茶を置き、私も、向かいに座った。

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