森下典子 エッセイ

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2003年9月―NO.12

  


上質の素材を使って
丹念に作られた羊羹の味は
すぐにそれとわかるのである

八木菓子舗の「元祖 三石羊羹」




八木菓子舗の「元祖 三石羊羹」
(画:森下典子)

「いただきまーす」
 黒文字の菓子楊枝で、角に近いあたりから、斜めに押し切り、一切れ、ひょいと口に入れた。
(……………………!)
 思わず、顔を上げると、テレビを見ていた母も同時に、口をもぐもぐ動かしながら、真面目な顔で私を振り返った。
「ちょっと!これ。この羊羹」
「いいねー」
「いい羊羹だねー」
 その時、思った。上質の素材を使って、丹念に作られた羊羹の味は、すぐにそれとわかるのである。 いい羊羹は、味の粒子が細かい。その、なんとも品のいい甘さも、十勝産小豆の風味も、何のひっかかりも残さず、味覚の網目をたちまちサァーッとフリーパスしていく。食道や胃を通って消化されるのではなく、そのまま味が血中に溶け込んで、全身をめぐり、DNAに届く気がする。
 私は、おいしい羊羹に出会うと、思わずその断面に見惚れてしまう。菓子楊枝で押し切った「三石羊羹」の断面は、深い闇のようで、石英の断面のように光っていた。
 お茶をじっくりとすすりながら、母がしみじみと言った。
「私はね、この年になって、羊羹の本当のおいしさに目覚めた気がします」

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