身近な生活の中のおいしさあれこれを1ヶ月に1度お届けします 森下典子
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2006年9月―NO.47

  3

ほっこりした「芋きん」を温め直すと、人恋しくなるような香ばしさがたつ。
その香りを嗅ぐたびに、
私は、風に揺れるススキのようだったシュウちゃんを思い出す。

満願堂の「芋きん」


満願堂の「芋きん」
満願堂の「芋きん」
(画:森下典子)

 シュウちゃんは、それからも時々、「芋きん」を買って遊びに来た。うちでは、「シュウちゃん」といえば「芋きん」、「芋きん」といえば「シュウちゃん」だった。
 それから、彼が姿を現さなくなった。きっと、アルバイトで忙しいのだろうと思っていた。
 そして、また台風のシーズンがやってきた。
「雨戸の戸袋、壊れてるよ」
「直さないとね。シュウちゃんに、来てもらおうか」
 その時になって私たちは、彼の電話番号も聞いていなかったことに気づいた。屋根屋のおじさんに聞くしかなかった。すると、
「いないよ。辞めた」
 というそっけない返事だった。何か、おじさんとの間で仕事上のトラブルがあって、出て行ってしまったらしかった。
 その後、おじさんから、シュウちゃんのお母さんは、彼が幼い頃に失踪したらしいと小耳に挟んだ。そういえば、一度、家族のことを聞いた時、彼ははっきりと返事をしなかった。
 今頃、どこでどうしているだろう。ほっこりした「芋きん」を温め直すと、人恋しくなるような香ばしさがたつ。その香りを嗅ぐたびに、私は、風に揺れるススキのようだったシュウちゃんを思い出す。

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