身近な生活の中のおいしさあれこれを1ヶ月に1度お届けします 森下典子
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2007年8月―NO.58

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涼しさ、辛さ、酸っぱさ、甘み……
歯ごたえにうなり、刺激を追いかけ、過激から逃げて安らぎ、また麺をすする
器の中でそれを繰り返し、食べ終わった時の、えもいわれぬ涼やかな満足感……

ぴょんぴょん舎の「盛岡冷麺」


ぴょんぴょん舎の「盛岡冷麺」
ぴょんぴょん舎の「盛岡冷麺」
(画:森下典子)

 ガラスの器の真ん中で、スパゲティのように淡い黄色がかった麺が、汁に半分ほど浸かっている。半透明に透けた麺が、汁に濡れ、みずみずしく光っている。汁はとろりとして、何かの出汁のようだけれど澄んでいる。そこに、キムチ、キュウリ、ゆで卵、焼肉の薄切り。それになぜか、スイカが一切れ添えられていた。
「これ……何?」
「冷麺」
「……冷やし中華じゃないの?」
「冷やし中華とは違うよ。東京には、冷麺ないの?」
 と、従姉が意外な顔をした。
 しかし、麺にあれほど想像を裏切られたことはなかった。半透明の冷たい麺を一口すすり、噛んだ途端、歯ごたえにびっくりした。
(……!)
 これほどコシの強い麺は初めてだった。それまでに食べたどんな蕎麦、うどん、スパゲティも、このコシにかかっては、物の数ではない。
 弾力があって、噛むと押し返してくるようだ。その強い抵抗感と、つるつるした食感、そして半透明のみずみずしさが実に小気味よく、涼しく胃に納まる。
(こういう麺を待っていた!)
 と、夏の胃袋が喜んでいるのを感じた。
 麺にからんだ汁は、さっぱりしていながら深いコクがあり、キムチの酸味と辛味と旨みがよく合う。そして無性に、キムチの辛味に染まったオレンジ色の汁を飲みたくなる。
 スプーンですくった。その味は、見かけと違って、意外に淡白だった。ちょっともの足りないような気がする。だから、深追いしたくなる。
(もっと辛くていい、もっと……)
 オレンジ色の濃いところを、幾度も幾度もスプーンで口に運んだ。やがて、額にじんわり汗がにじみ、辛味で舌が焼けてきた。
「カーッ!」
「ほらほら、スイカを食べるといいよ」
 従姉に言われ、汁に浮かんだスイカを一口、シャリッと齧った。甘みと冷たさが、たちまち舌を優しくなだめてくれた。
 スイカのない季節には、冷麺にリンゴを一切れ入れるという。一つの器の中に、辛さもあれば、癒しもある。その気遣いに小さく感心した。
  涼しさ、辛さ、酸っぱさ、甘み……。歯ごたえにうなり、刺激を追いかけ、過激から逃げて安らぎ、また麺をすする。器の中でそれを繰り返し、食べ終わった時の、えもいわれぬ涼やかな満足感……。

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