身近な生活の中のおいしさあれこれを1ヶ月に1度お届けします 森下典子
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2007年9月―NO.59

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「んーっ!」 あたりから、驚きと溜息が起こった。
東北の秋の豊かさが、このお土産に見事に凝縮されていた。

中松屋の「饗の山」


中松屋の「饗の山」
中松屋の「饗の山」

(画:森下典子)

 さて、お茶の稽古場に、川瀬さんという会社員の女性がいる。川瀬さんは旅行が趣味で、年に何回も旅をするが、彼女が行く先々で買ってくるお土産は、一見、どこの地方の土産物屋にもありそうな平凡な最中や羊羹や干菓子なのだけれど、食べてみるとこれが不思議にただものではない。
「あら、おいしい。これ、どこで買ったの?」
 と、武田先生でさえ、彼女のお土産選びには一目置く。
 何年か前の秋である。川瀬さんが、
「先生、職場の仲間とまた旅行してきました。お土産です。」
「……どちらへいらしたの?」
 先生も知らない包み紙だった。
「東北です」
 先生は、その棹物を手に台所に消え、やがて織部の菓子器を捧げ持って現れた。
「川瀬さんのお持たせよ。いただきましょう」
 蓋をあけると、薄く切った羊羹が並んでいた。
「説明書にね、8mmに切るようにって書いてあったの」
 よく見れば、ただの羊羹ではない。栗らしき淡い褐色の餡を、羊羹が抱き込んでいた。
 懐紙にとって、楊枝で一切れ口に入れると、
「……」
 栗餡のほこほことした舌触りの奥から、山の甘みがやってきた……。その後を、しっとりとした羊羹の淡い甘さが追ってきて、栗の風味を際立たせる。なんて自然で立体的な味だろう。栗と餡子がないまぜになり、口の中が、秋の山の香ばしさでいっぱいになった。
「んーっ!」 
 あたりから、驚きと溜息が起こった。
 なるほど、8mmという薄さは、天然の栗餡の濃さにちょうど良い。
「このお菓子の名前は?!」
「岩手県岩泉町の中松屋の『饗(あえ)の山』です」
 東北の秋の豊かさが、このお土産に見事に凝縮されていた。
「私、和菓子のお土産を探すようになってから、国内旅行がとても豊かになりました」
 川瀬さんがそう言うのを聞いて、
(人が喜んでくれるお土産を探すのって、教養なんだな)
  と、思うようになった。

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