身近な生活の中のおいしさあれこれを1ヶ月に1度お届けします 森下典子
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2010年2月―NO.87

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白餡の上品な甘さと共に、日本の美意識の豊かさに心が満たされる。
三英堂の「四ケ村」


茶碗
茶碗
(画:森下典子)

 昔、富士山が嫌いだった。大人たちが、
「あら、きれいねえ〜」
 と、はしゃぐ声を聞くと、恥ずかしくなった。私は、富士山を「凡庸」と「陳腐」の代名詞だと思っていた。富士山を「日本人の心」のように絶賛する人がいると、「こいつは右翼か?」と胡散臭く思った。銭湯に行くと、壁の大きなペンキ絵にお約束通り、富士山と帆掛け舟が描かれていた。私はうんざりして、ペンキ絵に背中を向けながら湯船につかった。
 記憶が確かではないが、あれは確か高校時代だったと思う。何の行事だったのか、学校からバスで静岡に行った。ちょうどお昼頃、日本平の山頂に着き、広々とした芝生の上で、お弁当を広げることになった。
 絵葉書みたいな快晴の日だった。日本平からの景色を目の当たりにした時、私はぽかーんとしてしまった。真正面に富士山がいた。逃げられない気がした。富士山はまるでドレスの裾を引いたようにのペーっと裾野を広げ、清水の町や駿河湾を抱いていた。
 お弁当を食べながら、ふと目を上げると、そこに富士山がいる。じっと見ていると、富士山がグッと迫ってきて、目の前が富士山だけになる。「ヤバい」と思った。飲み込まれそうな気がして、できるだけ富士山と目を合わせないようにお弁当をせっせと食べた。
 食後にみんなで「缶蹴り」をし、広い芝生を思いきり走り回った。植え込みのツツジは噴き出すように咲いて、私たちはエネルギーのありったけを発散した。
 噴き出す玉の汗をぬぐいながら、富士山と向き合って立った。すると不意に、富士山ののぺーっと広がった裾野と、自分が今立っている足もとの芝生がつながっているのだと感じた。大地を伝わって富士山の何かが私にドッと流れ込んできた気がした。鳥肌が立った。
「………!」
  ただただ圧倒された。あまりにも優雅で、壮大で、言葉では追いつかず、涙がむくっとわいた。その瞬間から、私は富士山を「美しい!」と思うようになった。

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