身近な生活の中のおいしさあれこれを1ヶ月に1度お届けします 森下典子
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2010年2月―NO.87

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白餡の上品な甘さと共に、日本の美意識の豊かさに心が満たされる。
三英堂の「四ケ村」


椿
椿
(画:森下典子)

 これも子供の頃、隣家の庭に、椿の木があった。「乙女椿」は冬にピンク色の八重咲きの花をいっぱい咲かせた。その花はやがて首からぽたりと地面に落ちて、茶色くなった。「やぶ椿」も、真っ赤な花びらを開いて、中心から黄色い芯が見えるようになったと思うと、ぽたりと首が落ちて茶色く汚れた。
「だから椿は昔から縁起が悪いって言われたんだよ。武士は首が落ちるのを不吉だと思ったからね」
 母がそう言うのを聞いてギョッとし、私は椿が嫌いになった。日本人はどうして椿なんか庭に植えるのか解せなかったし、あれは陰気で田舎くさい花だと思っていた。
 そんな椿を「花の女王ですよ」と、教えてくれたのは、20歳から通い始めたお茶の先生だった。床の間には、いつも掛け軸と花が飾られているが、11月から翌年4月末までの半年間、最も多く登場する花が椿だった。
 なぜこんな不吉な花を飾るのだろうと不思議だったし、もっと理解できないのは、花でなく、いつも蕾を使うことだった。
(もう少し花びらが開けば、少しは華やかなのに。もうちょっとなのに……)
と、惜しいような物足りないような気がした。
「椿は咲いたら使わないのよ。開いても、かすかに花芯がのぞくところまで。そこが一番きれいなの」
 という先生の言葉に納得がいかないまま、何年も床の間の椿の蕾を眺めて過ごした。加茂本阿弥、曙、西王母、胡蝶侘助、明石潟、都鳥、袖隠、本白玉、初嵐……。知らなかった椿の名前をたくさん耳にした。
 7,8年過ぎたある日、大磯にある知り合いの家に遊びに行った。古い大きな一軒家で、庭をぐるりと囲んだ椿の垣根が、冬の光を浴びていた。その垣根の前で私は、
「わぁーっ!」
 と、声を上げ、立ちすくんだ。コーティングされたように艶々とした厚い緑の葉っぱが光を浴びて玉のように輝いていた。咲き終わって落ちた赤い花々が、黄色い花芯を見せて垣根の脇に点々と列をなしている。
 垣根の葉の陰から、凛とした赤い蕾がのぞいていた。私は、その中の大きく膨らんだ一輪をじっと見た。
(これが椿……?)
 よくある椿なのに、なぜか今までに見た、どの椿とも違って見えた。
 ぞくっと来た。その瞬間、
(これは日本のバラだ!)
  と、思った。目から鱗がポロッと落ちた。私はずっと、椿の見方がわからなかったのだ。だけど、一度、その「美」を見つけたら、もうそれ以前に戻ることはない。あの、富士山に初めて感動した日を思い出した……。

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