森下典子 エッセイ

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2003年12月―NO.15

  


卵の黄身の濃厚な風味と甘さ……。
歓喜しながら、
瞬く間になくなってしまっていく
小さな金色の藁束を、
惜しむように食べた。
石村萬盛堂の「鶏卵素麺」








お煎茶で一服
(画:森下典子)

 家に帰ると、私は母に興奮してしゃべった。その「メゾン」と、「ごめんあそばせ」と、そして、あの「金色の藁束」について。それがどんなに濃く甘く、美しい黄身色をしていたか。
 すると母は言った。
「あっ、わかった!それ、きっと鶏卵素麺だ。九州の方の銘菓よ。昔、お土産にもらったわ」
「鶏卵素麺?」
 なんだか、意外に泥臭い名前だと思ったが、あの細い藁束は、言われてみればなるほど、「素麺」を切りそろえたものだったのか……。
 私たちは半年間に渡って「メゾン」で数学の補習を受け、ピンクの椅子に座って、それからも2度ほど「鶏卵素麺」をご馳走になった。「鶏卵素麺」は、いつでもマッチ棒くらいの長さで、お皿の上にちょこっ、とだった。「おかわりください」は、とうとう言えなかった。
 大学を出て、ライターの仕事をするようになり、30歳頃、取材で博多に行った。時間があいたので、何気なくデパートに入ったら、お菓子売り場のコーナーで、期せずして、懐かしい黄身色に再会した。コーナー全体が、黄身色の海に見えた。
「あ、鶏卵素麺だ!」
 思わず声に出して、ガラスケースに駆け寄っていた。家に持ち帰るまで待てなかった。その日、滞在中のホテルの部屋で、私は「石村萬盛堂」の紙箱を開けた。お見合い写真のように薄紙がかかっていた。その薄紙をそっとあけると、
「南蛮渡来 鶏卵素麺」
 という白い文字を書いたビニールに包まれて、長さ20センチほどの黄身色の素麺が現われた。私はそれをマッチ棒の長さにザクザク切って、こんもり積み上げた。
 一本つまんで食べた。忘れえぬ卵黄の風味と、濃厚な甘みが、今まさにここにあった。もう私を止めるものは何もない。てんこもりの金の藁束をワサワサと食べ、私は
「あーっ、しあわせっ!」
と、呟いた。その時、不意に、参考書の匂いが鼻先をかすめた気がした。

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