森下典子 エッセイ

TOP プロフィール ご意見・ご感想 カジワラホームページ

2003年10月―NO.13

  


お椀一杯なのに、
なんだか湯舟に肩までひたり、
のびのびと手足を伸ばしたような
気分になった。
永谷園の「あさげ」「ゆうげ」



サムソナイトのトランク
(画:森下典子)

 もう、遠くまで行っても、長く日本を離れても安心だった。だって、「あさげ」があるのである。実は、私が初めてヨーロッパ旅行をしたのも1975年。パック旅行のツアーの人たちは、みんな、サムソナイトのトランクの中に、梅干と「あさげ」を入れていた。
 80年代になると、「あさげ」に「生みそタイプ」が生まれた。乾燥した具と生味噌が、別々の袋に入っているのである。これに熱湯を注ぎ、味噌をとくと、まさに、黄土色の雲が、もくもくと広がるのである。味噌の香りが新鮮で、「あさげ」は、いちだんと「本物の味噌汁」に近づいた。日本人が、モロッコやペルーにまで出かけ、「北極圏でオーロラ見物」までするのは、世界中どこでも、暖かい味噌汁が飲めるからだと思う。
 私はトランクの中にいつも3点セットを入れていく。@愛用の「お椀と箸」。A世界中の電源が使える変電器付きの「湯沸しポット」。B「あさげ」「ゆうげ」である。遠い異国の空の下で疲れた時、ホテルの部屋で、ひとり、ふうふうしながらすする味噌汁は、比喩でなく、大袈裟でなく、本当に身にしみる。
 15年前、イタリア旅行中にこんなことがあった。朝、ホテルのベッドで目覚めると、やけに寒かった。湯沸しポットで湯を沸かし、とっておいた「あさげ」を一口一口、大切にすすった。味噌汁って、こんなにうまいのか……。体内の塩分濃度のバランスが整うのを感じた。お椀一杯なのに、なんだか湯舟に肩までひたり、のびのびと手足を伸ばしたような気分になった。嬉しくて、ホッとして、膝が抜け、ガクガクガクガク震えた。
 私は、味噌汁でできている。

TOP プロフィール ご意見・ご感想 カジワラホームページ


COPYRIGHT © 2003 KAJIWARA INC.