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![]() 身近な生活の中のおいしさあれこれを1ヶ月に1度お届けします 森下典子 |
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2004年5月―NO.20 | |||||
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その代表が「カステラ」である。きれいな黄色いスポンジと、それを上下から挟みこむ、底と表面の焦げた茶色のコンビネーション。そして、鼻腔をくすぐるしっとりとした甘い香り。 「色と欲」という言葉があるが、私は昔、この「黄色と茶色」に溺れて、一生分のカステラを一度に食べてしまったことがある。 あれは小学校2年生の時だった。学校から帰ると、母の知人が来ていた。 「お土産いただいたのよ」 立派な木箱に入っていたのは、電話帳くらいの大きさのカステラだった。 「今、食べていい?」 お客さんの前もかまわず、私がぴょんぴょん跳ねると、母は恥ずかしそうに、 「すみません。うちは躾がなってなくて」 と、言いながら、台所に行って包丁の先で、木箱の角からショートケーキくらいのサイズを切り分けてくれた。 カステラの上には薄紙が張り付いていた。それをペラーッと剥がすと、地面の苔が剥がれるように、裏にお焦げがくっついてきた。 「あっ、それ、ちょうだい!」 チョコレートも、焼肉も、ご飯のお焦げも、茶色いものは、みんなうまかった。 「茶色い食べ物は、うまい」 それが、8歳のわが人生の教訓だった。私はカステラの薄紙の裏面を前歯でこそいだ。焦げ臭さと、にが甘さが混じった、大人っぽい味がした。 「自分の部屋で食べなさい」 「はーい」 私はお皿を捧げ持って、自分の部屋に入り、フォークを手に、黄色いスポンジをながめた。 (…………) 細かく泡立てられ、無数の気泡が集まった生地はふわふわとして、そのきめ細かい黄身色の穴たちが、おいしそうに押し合っていた。 フォークをギューッとカステラに押しつけた。カステラは、なんの抵抗もなく柔らかくつぶれたが、切れてしまうと、再び、ふわふわーっと広がった。千切れた断面はもろもろと、いっそうおいしそうに黄色くそばだった。 口に入れた瞬間、ねっとりと甘い香りが漂った。私はめくるめいた。皿は瞬く間に空になり、私はすぐさま台所へ舞い戻った。 「お代わり欲しいの」 「自分で切りなさい」 私は喜々として木箱の蓋をあけ、包丁でカステラのお代わりを切り取った。それから何度おかわりをしたか覚えていない。食べても食べても、飽かず、「ええい、小さく切るのは面倒だ」と、豆腐一丁くらいの大きさに切ったのを覚えている。 気がついたら、脳の髄まで、ねっとりとしたカステラの甘み染まった気がした。頭がガンガンした。 お客が帰った後、母はカステラの蓋を開けて言葉を失った。電話帳ほどもあったカステラのほとんどが消えていた。私は布団をひっかぶり、「頭が痛いよう」と、一晩うめいた。カステラの甘い匂いを嗅ぐと、頭痛がして、それから私はカステラ嫌いになった。 | |||||
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