身近な生活の中のおいしさあれこれを1ヶ月に1度お届けします 森下典子
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2005年3月―NO.30
  3

あの黒く焦げた皮や、まわりにはみ出した「みみ」を思い出すと、
たまらなくなる

柳屋の「鯛焼き」


柳屋店舗
柳屋店舗
(画:森下典子)

 その店は「柳屋」という。人形町の「甘酒横丁」という商店街にある小さな店で、いつも行列ができている。行列は、ウナギの寝床のような店内から長く連なり、通りにまで溢れていたりする。
 30分待ちは当たり前だが、それでも誰も文句を言わない。鯛焼きを焼いているご主人の姿が見えるのだ。その姿は、見ていて退屈しない。
 拍子を取っているのか、足でせわしなくステップを踏みながら、手早く作業する。ぼうぼう燃える強火で鯛の金型を焼き、そこにお玉で1つずつ、白いタネをサッと流し込み、たっぷりと餡を盛り、パタンと金型を閉じる。
 金型からブニュッ!と溢れて「みみ」になった部分に火がついて炎が上がったりする。金型をパカッとはずし、焼けた鯛焼きを、目の前の金網にボン!と放り込む。鯛焼きは、網の上で、まだぼうぼうと炎を上げている。
 それを、おばさんが軍手でさっとつかみ、炎をパッパと手で消して、焦げた「みみ」をパキパキと折り取る。
(あーっ、おばさん、私、その「みみ」が好きなんだけど)
 と、心の中でつぶやきながら、おばさんの足元に目を落とすと、床は、炭化した「みみ」で真っ黒である。
 やっと私の番がまわってきた。
「10個ください。それと、1つだけ別に」
 おばさんが、焼きたての熱々を経木に包み、包装紙でくるんでビニール袋に入れてくれる。
 1つだけ別にしてもらったのは、店の前でふうふう吹きながら、その場で頬張る。これが一番おいしい。
 だけど、ずしっと重いビニール袋を持って電車に乗り、家に帰る途中も、私は好きだ。電車の座席で、膝の上にほかほかするビニール袋を乗せる。中から、皮の焦げと、香ばしさと、煮豆の甘みが混じりあった、えもいわれぬ暖かな香りが上がってくる。もう、最高である。
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