身近な生活の中のおいしさあれこれを1ヶ月に1度お届けします 森下典子
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2009年6月―NO.80

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京都からわざわざやってきた、手のひらで包めるほどの小さい世界。
蛍の光が照らす範囲の小さな美の世界の、この充実感はなんだろう。

末富の「沢辺の蛍」


ツユクサ
ツユクサ
(画:森下典子)

 あれは10歳の夏休みだった。上野から列車で6時間。小学生にとって、ひとりで「岩手のおばあちゃんち」に行くことは外国へ行くのも同じ大冒険だった。上野駅まで父が見送ってくれた。父は網棚に私のリュックを載せたり、窓をあげたり下げたりし、
「忘れ物はないか?」
 と、何度も確認した。そわそわとホームに降り、お弁当とお茶、網に入った冷凍ミカンを買ってまた車内に戻ってくる。早く降りないと、ドアが閉まってしまうのではないかと私は冷や冷やした。発車のアナウンスが流れた。
「おじいちゃん、おばあちゃんによろしくな」
 父は慌てて列車を降りた。ゴトンと列車が動きだし、ホームの父がゆっくり遠くなる……。
 初めての一人旅だった。「国鉄」の固い「L」字の椅子に座って、お弁当を食べ、持ってきた植物図鑑を眺めたり、溶けかけた冷凍ミカンを齧ったりして時間を過ごした。
 ビル街を抜け、家並みがまばらになり、やがて民家も少なくなった。行けども行けども林と田んぼばかりの寂しい景色になった。窓の外がしだいに暮れていく。うちでは、もう母が幼い弟と夕ご飯を食べているだろうか……。一人旅の空には夕方もあることにドキリとした。
 いつの間に眠ったのか、目が覚めると、窓の外は真っ暗闇だった。車窓の端に、ポツンと1つ、小さな小さな灯りが現われたかと思うと、それがすぅーっと糸引くように移動して、後ろに去って消えていく。家の灯りだった。そんな単調な光景がいつ待てるともなく続く。何度もうつらうつらと眠っては覚め、すっかり飽きた果てに、夜遅くやっと盛岡に着いた。
 駅で親戚のおじさんが迎えてくれた。車で真っ暗い夜道を走り、やがて、舌を噛むほどがたがたの道になり、林を抜けると、小高い丘の上に大きな家があった。
「よぐ来た!よぐ来たことぉ〜!」
 祖父母、おじ夫婦、いとこたちが待っていた。
 その夏休み、祖父母の家に、私と年の近い子供たちが集まり、まるで合宿所になった。
 家の前は見渡す限り水田が広がり、私の背丈くらいに伸びた稲の葉先すれすれで虫取り網をさーっと泳がすと、網の中がトンボでいっぱいになった。裏の松林では降りしきるように蝉が鳴いて、棒の先に大きなオニヤンマがとまる。木の幹には、白黒模様のカミキリムシやカブトムシがいた。
「カジカ獲りにいくぞー」
 年長の従兄の先導でオレンジ色のノカンゾウの咲く畦道をずーっと歩いて行くと川があって、冷たい流れの中のヌルヌルの石ころをどかすと、水の中で煙のようにムクムクと泥が舞い上がり、その中を素早くカジカが逃げる。
「おにぎり持ってきたよー」
 と、岸で麦藁帽子のおばさんが手を振る。
 ハイキング、釣り、花火大会、ジンギスカン鍋……。毎日がイベントの連続だった。
 ある晩、叔父が言った。
「おまえ、蛍、見たか?」
「ううん」
「だば、見せねばなんね」
 また年長の従兄が先頭になって、私たちを連れ出かけた。田舎の夜道は暗い。蛙が競い合うように鳴く畦道を、子供同士、ぎゅっと手をつなぎあって歩いた。やがてせせらぎの音が聞こえる場所に来ると、先頭の従兄が立ち止まった。
「ほら、ここだ」
「……」
 闇の中を泳ぐように、ぼーっと緑がかった小さな光が1つ横切った。
 ふと、夜の車窓を横切る、小さな家の灯りを思い出した。と、その時、
「あぁーっ!」
 足元が青白く光っているのに気付いた。まるで天の川のように見えた。草の葉にとまっているもの、すーっと糸引くように過るもの。光っては消え、消えては光りながら、ふわり、ふわり動いている。
 従姉がしゃがんで、草の葉にとまった蛍を両手でそーっと包んで私に見せた。指の隙間から、緑がかった光が漏れていた。従姉が手を開くと、その光が明滅しながらゆらゆらと飛び立って川面をかすめていく。蛙の声がひときわにぎやかに聞こえた。
 その晩、叔母は私たち子供が枕を並べて寝る広間に蚊帳を吊り、部屋を真っ暗にして、虫籠に入れてきた蛍をその中に放した。緑がかった青白い小さな光が蚊帳の中をふわふわ飛び、光っては消え、消えては光るのを見上げながら、いつの間にかわからなくなった。 天の川のような幻想的な蛍の光を見たのは、あの一度きりだ……。

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