身近な生活の中のおいしさあれこれを1ヶ月に1度お届けします 森下典子
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2008年1月―NO.63

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「京女みたいだ……」
前歯が薄いひとひらをサリッと噛むたび、 私はその薄さと繊細さに感動した。

大藤の「千枚漬」



煎茶と一緒に
(画:森下典子)

 私が週刊誌のライターをしていたころ、取材で京都にしばらく滞在していたことがあった。ちょうど1月から2月にかけてで、朝晩はしみとおるように冷え込んだ。
 常宿は、花街の中にある小さな旅館だった。夜、外出先から宿に戻り、玄関の引き戸をからからと開けると、いつも女将さんが、
「さむおしたやろ。お水取りが終わるまでは、えらいさむおすえ」
 と、迎えにでてくれて、
「ちょっと、おこたにお入りやす」
 と、自分の部屋の炬燵に招き入れてくれた。年のころは60くらい。色白で立ち居振る舞いのきびきびした女将さんだった。好意に甘えて、炬燵にあたらせてもらうと、台所から熱燗とつまみを運んでくれたりする。宿泊客というより、下宿人になったような気分だった。
「京都人は、よそ者に冷たい」
 と、よく言われるけれど、その反面、
「いったん懐に受け入れられたら、実に住み心地のいい町だ」
とも聞く。
(京都のこんな路地の奥で暮らしたらいいだろうなぁ〜)
 という考えが、ちらっと頭をかすめた。
 女将さんは昔、舞妓さんだったそうで、結婚して芸妓を引退し、この旅館の女将になったと、炬燵にあたりながらいろいろ話を聞いた。
「じゃ、そろそろ休みます」
「ほな、おやすみやす」
 部屋への階段を上がる時、黒光りする古い木造の床が、みしり、みしりときしんだ。いつの間にか、部屋には赤々とストーブがついていて温かく、もうお布団が敷いてあった。
  その布団が、真っ赤な総絞りだった。女将さんの舞妓時代の衣装を布団に仕立てたのだそうだ。枕元の小さな行灯の明かりに、真っ赤な布団がなまめかしく浮かび上がるのを初めて見た時、不意に「水揚げ」という言葉を思い出してドキッとした覚えがある。

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