身近な生活の中のおいしさあれこれを1ヶ月に1度お届けします 森下典子
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2008年7月―NO.69

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これを1粒頬張ると、ほどよい酸味とまろやかな甘みに、
こんこんと新鮮な唾液が湧き、深い旨みの境地に連れて行かれる

梅いちばんの「黄金漬」



梅いちばんの「黄金漬」
(画:森下典子)

 そんなある日のこと、いつものように食後に梅干しを食べた。
「毎日一粒ずつ梅干しを食べていれば、病気知らずだよ」
 というのが祖母の口癖だったのだ。
 酸っぱくて、一瞬、顔をすぼませずにはいられないけれど、不思議に口の中がだんだんおいしくなって、果肉がなくなっても、いつまでも種をしゃぶっていたくなる……。私は梅干しが大好きだった。
 種を飴玉みたいに口の中で転がしていると、種からいい味が浸み出てくるような気がした。
(種の中には、何があるんだろう?)
 私は梅干しの種をしげしげと見た。先の尖った種は、小さなクルミに似ていた。殻は固く、その中に何か大事な秘密が隠れているような気がした。
ふだん祖母から、いかに梅干しが体にいいか、言い聞かされて育ったせいかもしれない。
「梅干しの黒焼きを飲めば、風邪なんかたちどころに治るよ」
「梅干しはバイ菌を殺すんだよ」
「頭が痛い時は、梅干しを貼ればいい」
 疲労回復、下痢、腹痛、食当たり、食欲不振、風邪、乗り物酔い、発熱、夏バテ、……果ては、
「梅干しはコレラにも効く」
「出征する兵隊さんに梅干しの黒焼きを持たせたら、弾がよけた」
 と、祖母は梅干しのパワーを信仰していた。
 梅干しがそれほど体にいいなら、その核である種の中には、もっとすごい力がひそんでいるのではないか。それは、命の神秘、宇宙の神秘。いや、そこに「神様」がいるのかもしれないと思った。
(中が見たい……)
 私は種を奥歯で噛んだ。二つに割れた種の中には、殻で大事に守られるように、小さなアーモンドのようなものが鎮座していた。種の中の種……。
「これなに?」
 と、聞くと、祖母は、
「ああ、天神様だよ」
 と、かすかに笑った。
(おばあちゃんは、お守りの中の神様を見ちゃいけないと言ったけれど、天神様は見たんだな)
  私は子供心にも、ものすごく神秘的な効き目があるかもしれないと思って、それを食べてみた。茶色い薄皮の中は、ペロンと柔らかい白いもので、あまり味はしなかった……。

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