身近な生活の中のおいしさあれこれを1ヶ月に1度お届けします 森下典子
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2008年11月―NO.73

  3

さらさらした卵風味の黄身餡が、極上の小豆餡と口の中で混じり合い、
そこに栗の味と歯触りが入り混じる。この調和……。

大吾の「爾比久良」


大吾の「爾比久良」
大吾の「爾比久良」
(画:森下典子)

 現れた断面を見て、思わず、
「うわぁーっ」
 と、声が出た。紫色の小豆餡と大きな栗の断面が美しい地層になっていた。
 卵色→小豆色→栗→小豆色→卵色
  なんという美しい地層だろう! 立方体のキリリとした角がちょっと崩れ、もろもろとそぼろ状にこぼれる。そのこぼれた卵色を拾って口に入れた。
「……」
 ふわ〜と卵の風味が広がり、ちょっと後から優しく上品な甘さが追いかけてきた。
 あ、黄身時雨!
 私は黄身時雨が大好きなのだ。
 黄身時雨は、まるで春先の地面だ。ほこほこと蒸しあがって粒立ち、あちこち地割れしている。その「地割れ」がおいしそうでおいしそうで、私は黄身時雨の表面を見ているだけでウズウズしてくる。
 だけど、これはただの黄身時雨とは違っていた。
 卵黄と白餡を調和させたもので、
「黄身羽二重時雨餡」
 というのだそうだ。ねっとりしていながら、どこかさらさらしている。
 黒文字で切り崩すと、角から割れて、もろもろと卵色が散った。塊を黒文字で、そーっと口に運ぶ。
 ……しばし無言で味わった後、
「ふーっ」
 と、幸せな鼻息が漏れた。
 さらさらした卵風味の黄身餡が、極上の小豆餡と口の中で混じり合い、そこに栗の味と歯触りが入り混じるのである。
 この調和……。
 使われている砂糖はなんだろう?
 上品な甘みの粒子が、どこにもぶつかることなく味蕾の細胞をそのままスルーして、体に沁みいる。
 「黄身羽二重時雨餡」という長い名前の黄身餡は、口の中で、さらーっと溶けて、淡雪のように消えていく。
「サトウさん、爾比久良、素晴らしかった!」
 と、電話すると、津々浦々のおいしいものを知っている彼女が言った。
「あれはパーフェクトでしょ。また、おいしいものを見つけたらお知らせしますね」
 この日本には、まだまだ私の知らないおいしいものがある。
  分け入っても分け入っても、うまいもの。

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