身近な生活の中のおいしさあれこれを1ヶ月に1度お届けします 森下典子
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2009年5月―NO.79

  3

口に入れると、葛がひんやりとし、うっすらと甘い。
なめらかに口どけして、すーっと消える。日本の初夏の冷たい葛菓子である。

塩瀬総本家の「びわ」


塩瀬総本家の「びわ」
塩瀬総本家の「びわ」
(画:森下典子)

 さて、枇杷の実がなるころ、私がもう一つ楽しみにしているのが和菓子の枇杷である。いろいろな和菓子屋さんが、そのお店なりのデザインと手法で、枇杷を表現しているけれど、私が毎年、
「よくできてるなぁ〜」
 と、つくづく見惚れてしまうのが塩瀬総本家の上生菓子の「びわ」である。
 黄身餡を、美しい黄橙色の外郎で包んだもので、半透明の外郎生地が、まるで産毛に覆われているように靄って見える。
 同じ手法で上生菓子の「びわ」を作っているお店はたくさんあるけれど、塩瀬の「びわ」はどこか一つ違う。その色、その形……。何より、例の「おヘソ」である。暗緑色を帯びた「おヘソ」に、ハサミで小さな切れ込みがつけてある。その切れ込み具合が、実にいい。枇杷の実の可愛らしさと、セクシーな魅力が、たった1つか2つ、チョンチョンと小さく切れ目を入れたハサミによって、絶妙に表現されているのだ。
 ある時、お客様にこの「びわ」をお出しした。
「どうぞ、お菓子も召し上がって」
 その人はちょっと怪訝な顔をして皿の上にしばし目をやり、
「あっ……和菓子か」
 と、目をぱちぱちさせ、やっと菓子楊枝を手に取った。
 私は、この「びわ」を食べるのが惜しくてならない。いつも、とっくりと「おヘソ」を眺め、産毛が生えたように見える美しい黄橙色をしみじみと味わい、それからおもむろに楊枝を入れる。口に入れると、もっちりとした外郎の触感と、黄身餡のまろやかな甘さが混じり合い、目にも舌にも、豊さが広がる。

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